フエーヤー? フエーヤー・・・・・・チョッ!

受験生が、講評だけを辿って、今までにない傾向だとか、難解な問だとか、と言ってみても意味がないのである。

日本人の死体観

筑摩書房の『死体は誰のものか: 比較文化史の視点から』(上田信、2019)という本をタイトルに惹かれて手に取った。漢族、チベット族キリスト教、日本で、死体がどう扱われてきたか、ということを比較して記している。本書では、「死」「死者」「死去」を論じたものは多くあるが、「死体」について書かれたものは少ないため、そこを狙いにしているという。全体として、各文化での死体の扱われ方は、その文化圏での死生観とも連続性があるため、読んでいて興味深い。

 

その中で、臓器移植に関する記述があったので、少し考察してみたい。第46号の『比較法研究』での記載をもとに、次のように記されている。

 

…日本では本人が承認しても、遺族が拒否すれば摘出は認められず、本人が拒否しても遺族が承諾すれば摘出は認められることを、読み取ることができる。本人の意思は、遺族が意思を表明しない場合に限って有効となる。

他方、欧米では全般的に、本人が承諾すれば、遺族が拒否しても摘出が可能であり、本人が拒否すれば、遺族が承諾しても摘出は行われない。日本における親族の死体に対する権利に強さは、特筆される。(p.211)

欧米では本人の意思が臓器提供で重視される点と、日本では遺族の意思が重視される点とで比較されているが、果たしてそうか。『医療倫理の扉ー生と死をめぐって』(小松奈美子、北樹出版、2005)では、次のように記されている。

 なお、オーストリアポルトガル以外でも、ベルギー、フランス、スペイン、ギリシャ、イタリア、ルクセンブルクなどで「反対意思表示方式」を採用していますが、これらの国では「臓器は社会のものであるとともに家族のものでもある」という立場をとっているので、家族が拒否すれば臓器が摘出されることはありません。

このあと、日本で厳しいドナー制限が設けられていることが記述されているのであるが、この記載に従えば、臓器は「家族のものである」という認識は日本特有のものではないと理解される。ただし、それでも日本で臓器提供が欧米諸国に比して明らかに少ない点には、日本での死体に対する認識の違いが多分に関係している。その一つは、上田の本書でも記されている、「親族が死体を浄化する責務を負っている」という認識である。そしてもう一つ、私が個人的に考える点として、身近な人間の死体を傷つけることに現代特有の強い忌避感があるのではなかろうかと思う。

上田の本書では、以下のようにまとめられている。

日本の伝統では、僧侶などの聖職者が死体を儀式によって浄化し、死体から死者を切り離すことで、共同体に対する危険性を死体から取り除く。しかし、恐ろしい死体を聖職者のもとに運ぶ責務は、多くの場合は親族、身寄りのない死体については…共同体の嘱託を得たものが担っている。…日航機墜落事故の後の、一般的な日本人が親族の死体を回収することに心砕く理由は、その責務を全うしなければならないという責任感に由来するものであろう。(pp.216-217)

一般的に、こうした議論の際に、日本人の死生観として、日本は「あの世」と交流が多い価値観であり、綺麗な体であの世に送らないとお彼岸でこの世に帰ってきたときに・・・、というような論理があり、以前より眉唾だと思っていた。本書では、死体を成仏させるために聖職者のもとへ送らねばならないという、共同体に残された者の責務として記している点が興味深い。

 

他に、日本人の死体に対する見方には、現代になって死体が「隠蔽」されるようになったことにより、身近な人間の死を生と連続的なものと受け入れるために、遺体が傷つけられることを強く拒否する感覚があるのではないかとも思っている。

1950年代、日本人が死ぬ場所は自宅が82.5%を占め、病院は9.1%だった。その後自宅死は減少を続け、対して病院死が増加し続けてきた。1975年ごろを境にその数は逆転し、2009年には病院死が78.4%、自宅死が12.4%となっている。(

https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r985200000105vx-att/2r98520000010l2r.pdf)

病院での死亡した遺体は霊安室へ運ばれ、葬儀屋へと受け渡される。かつての日本では、死体を数日間自宅に置いていたが、現在では速やかに機械的に処理される。それゆえ、生活の中で死体と対面する機会は圧倒的に少なくなった。そうなると、人間の死というものを実感を持って体感しがたくなっているのである。というよりも、生きていた人間が死体になったということを体感しがたくなっているのである。

すると、いざ身近な人の死に直面した時に、死体は生きていた時の人間と連続性を持って感じられ、死人にメスが入ることで傷がつくことは、生きているその人にメスが入るのと同様の感覚を抱くのではなかろうか。死体を適切に浄化せねばならないという責務と、身近な人の死体を死体として接触できないために生じる傷つけることへの忌避感とが、日本人の現在の死体の見方を形成しているように思われる。

子どものころ怖かったもの

週に一度はブログを更新したいなぁとぼんやり思っていたら、以前の更新から2か月以上経ってしまった。

 

日々ニュースを見ていて思っていたところはいくつかある。というか、ニュースに対するTwitterでの人々の反応を見て思っていたことはいくつかある。

 

なんで川崎での殺傷事件の犯人を勝手に「無敵の人」呼ばわりして盛り上がってんの?

マスゴミと批判しながら、結局「無敵の人」として楽しむ連中は、遺族や被害者のケアのことなど頭になくて、事件を語って消費するためのものとして考えてないのでは。

 

佐藤浩市が映画の人物を「ストレスに弱くて下痢をしてしまう首相」に設定してもらったことを安倍晋三の抱える疾患に結び付ける連中、いくらなんでも言いがかりがすぎるだろ。

けど、病気とスティグマという観点からは考察する余地は確かにあるよね。

 

とかとか。

 

ただ、そこらへんを掘り下げると結構じっくり考察しないといけないので、今回はそれは措くとして。

 

筑摩書房のPR誌「ちくま」という本が毎月出ていて、一冊百円で売っている。以前から気になっていたが、やっと定期購読するようにした。薄い冊子ではあるが、年間千円でいろいろなコラムを読むことができて、日本国紀とかに金を出すくらいならだいぶ良い買い物になるだろう。

 

6月号を読んでいたら、穂村弘氏の「こわいひらがな」というコラムが目についた。氏のこわいひらがなの極めつきが、高いビルなどにかかげられていた、巨大な赤い字の「ぢ」という文字だったという。

私も子どものころ、新聞をパラパラとめくっていて、広告欄を見ていた時に、「ぢ」とでかでかと書かれた文字を見たことが記憶に残っている。

 

ひらがなではないが、私も子どもの頃に得体のしれない何かが怖かったなぁということをぼんやりと思い出していた。

よく家族で夕食に行ったときのレストランの近くにあった、消防団の消防車が停まってある小さな小屋。閉められたシャッターに消防車の絵が描かれていて、暗がりで灯る赤いランプに照らされていたのがなんともいえず不気味だった。

当時住んでいた家の近くの工場の倉庫に書かれた謎の会社のロゴも怖かった。それもシャッターに描かれていて、夜、そこを車で通るとぼんやりと謎のロゴが見えるのが怖かった。

 

私にとっての怖かったものの極めつきは、高速道路のパーキングエリアで、遠くのほうの暗闇にたたずんでいる謎の高い塔だった。

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Highway Parking Area / 高速道路パーキングエリア – エンジョイ給水塔 / Enjoy Standpipeより拝借)

子どもにとってはあまりに巨大に見える謎の塔。夜に立ち寄ったパーキングエリアの遠くのほうで、ぼんやりと構えている。しかも、塔のてっぺんの看板は古びていて、意味不明のマークが入っている。テレビで怖い話を見た後とは違う、なんとも言えない、体のうちからゾクゾクするような感覚があったような気がする。

大人になってからこの謎の塔が貯水塔だと知ったが、たぶん今見てもこれは不気味に感じるだろう。

 

考えてみれば、何か得体のしれない、しかも巨大なものに恐怖を感じていた。大人になれば巨大に見えなくなるし、中で何が起こっているかもわかるようになり、いつの間にか恐怖がなくなる。いつの日か初めて一晩中外で遊びほうけた時のわくわく感も、何度か繰り返すうちに平凡なものになり、いつの間にか日常化してしまう。いったい何があるんだろう、いったいどうなるんだろう、という摩訶不思議だった対象が、経験を積んでいくうちに凡庸になっていく。これが大人になるということかもしれないと、だんだんと思うようになった。

だからこそ逆に、大人になると、凡庸な日常に幸せを見出す映画などに感動するようになるのかもしれない、とも思うが、ここまで来ると話がいろいろ飛びすぎるので、今回はこのへんで。

『万引き家族』は「失われたはずのコミュニティの復活」を夢想する私たちの姿だった

今になってようやく是枝裕和監督の『万引き家族』を見ることができた。

 

物語は6人の人間が万引きや年金を頼りに生活し、最後は散り散りになるというそれだけの話ではある。だが、本当には心が通じない関係性に思える人々が、家族さながら、いや、実際の家族以上に家族らしさを擁しているところに、この作品が評価されたポイントがあるのだろう。

 

現代の生活ではかつてのムラ社会から解放され、個人化が進み、おひとりさまで暮らしていくことのほうが楽だという意識が強い。しかしその一方で、資本主義を生み出す一因となったプロテスタンティズムが、神に救われるためにひたすら働くという孤独な戦いに貫かれていたように、我々は自由を手に入れた代わりに安心を失ってしまった。

今の社会で正しく真っ当な(道徳的、社会通念的によしとされる)生活を送っている家族には、かつて我々が安心を手に入れていたはずの温かいサークルはもう存在しない。けれども私たちは、心が通じ合っている人々とのコミュニティに属することを夢見ている。そうしたコミュニティが現代にもよみがえったのが、実は社会から見えない人々で作られた家族だったのである。

 

この家族は、常に見えない存在になり続けている。万引きで生計を立てる親子、虐待される子ども、風俗店で働く女子、弔われない老婆・・・。私たちの日常の生活からは目に見えない人々である。いや、見ないようにしている人々か?

見えない人々であるから、もしかすると本当はそこらじゅうにいるのかもしれないし、映画の中だけの存在かもしれない。自分の知り合いで、今なにをしているかということをきちんと知っている人なんて、どれだけ多く見積もっても100人もいかないだろう。もしかすると、この日本にいる残りの1億人は、見えない人々かもしれない・・・。

 

見える存在である私と、見えない存在の誰か、どちらが孤独な存在か。しかし少なくとも、映画の中の家族は我々が本当は求めている紐帯を持った家族だった。犯罪をしながらもつながっている家族と、真っ当に生きながらも孤独と戦う人々、どちらが本当は社会を踏み外しているのか、わからなくなってくる。

 

だが逆に言えば、真っ当に生きる人々も、夢想するコミュニティを追い求めて見えない存在になることはできないのである。映画で描かれているのは、見えない存在であるものの温かいサークルの中で暮らす人々、であるが、本当の主題は、この映画では見えない存在になっている、真っ当な人々なのではなかろうか。

 

映画の最後では、家族は全員バラバラになり、真っ当に生きる人々になる。すなわち、コミュニティを喪失してしまう。

しかし、あのコミュニティに本当に絆は存在していたのだろうか。何があの家族を結び付けていたのだろうか。

 

コミュニティが失われた今、もうそれが何かはわからない。だが、きっと、絆でつながっていたコミュニティだったはずである。私たちがかつて、過ごしていたコミュニティもそうであったように。・・・そんなコミュニティは本当に存在したのか?今となってはもう誰もわからない。

 

映画の家族も、最後は正しさの中で生きていながらも、失われたはずのコミュニティで生きることをどこか夢見ている。これこそ、今の私たちの姿なのである。

PSYCHO-PASSがヒットした要因と実社会への連続性

PSYCHO-PASS自体の魅力はどこにあるかと考えてみると、主人公の常守は体制に疑問を抱く人物が主人公でありながら、自身は厚生省公安局という体制側の人間であるという両義性にある。日常の事件では体制側として対応しつつ、物語全体を通底するテーマは現状の体制に対する疑問の投げかけである。

 

しかし、こうしたテーマは日本の刑事ドラマなどではおなじみでもある。長年ヒットし続ける「相棒」シリーズでも体制側の陰謀などが大きく絡むストーリーとなっている。くわえて、犯人であっても人間的な態度で接する常守の姿勢は、「はぐれ刑事」や「鬼平犯科帳」に通ずるところがある。1期で狡噛が槙島を法の外で殺害した点では、単純な勧善懲悪で片付けられない「必殺仕事人」とも共通性があるともいえる。

 

このようにして見ると、悪を裁く物語として日本人にヒットする要素である、「体制側の悪」「刑事に人間らしさ」「勧善懲悪」などを物語の基本に据え、実はどっしりとパターンをなぞっていく面が見えてくる。現状の体制に疑問を抱きながらも、自身はしっかりと法の中での信念を全うする姿は、日本人の刑事ものでグッとくる場面である。

 

 

しかし、それだけではこれだけのヒットを生まなかった。ここにSF的な近未来要素、しかも「陰鬱とした管理社会の未来」という要素を加えたところに捻りがある。

 

ジョージ・オーウェルの『1984年』はPSYCHO-PASSと同様に近未来の管理社会を描くが、主人公は体制から隠れて犯罪行為を行うが最終的に体制に敗北してしまう。常守は体制側とも上手く渡り合っており、単に虎視眈々と体制を変える機会を待つわけでもなく、隠れて違法に行動するわけでもなく、自身の職務を全うしながらもより良い社会の在り方を自身で模索していく。この体制側の自分を肯定している姿に、1984年とは異なるPSYCHO-PASSの一つの特徴がある。

 

さらに、「犯罪係数」で国民を監視する手法に現代的な新しさがある。『1984年』ではテレスクリーンというカメラで監視され、自由な思想を持つことを禁止されるが、その目的は「権力のため」である。対してPSYCHO-PASSではどうだろうか。犯罪係数が上昇した場合になされる処置は、「メンタルケア」なのである。あくまで、「国民のため」に監視されているところが大きく異なっている。

 

これはフーコーの思想と共通性がある。

 

そもそもなぜ物語の設定として、公安局が厚生省の下部にあるのか。公式の設定では、シビュラシステムの確立に伴っていくつかの省庁が厚生省の下部組織として再編されたとあるが、これはあながちふざけた設定ではないかもしれない。

 

フーコーによると(『フーコー入門』中山元ちくま新書、1996年)、

社会が、生物体にように存続することを自己目的とするようになると、社会の構成員に死を与えることよりも、社会の構成員をよりよく<生かす>ことが重要な課題となる。(p.151)

という。市民社会では国家権力は国民に「生を与える権力」となった。

 

19世紀にフランスのポリス、ドイツのポリツァイが誕生し、これは「社会の治安を維持することだけを目的とするのではなく、住民の最適な健康を確保し、寿命を長くするという生-権力の専門組織とその学問を呼ぶ名称」だった。(同 p.184)

 

つまり、国家が国民に健康の維持を目的として介入することは、国家の存続や治安維持と合わさったものとして出発しているわけである。これは、国民一人ひとりの内部から行動の変容をもたらすため、外的な強制的な権力よりも強い権力を持っている。

 

公安局が厚生省の下部組織にあるというのは時代が逆行した発想とも言い切れないかもしれない。

 

最近では、あるお笑い芸人が健康調査をして医師から治療を宣告されるテレビ番組があった。医師とその治療を拒否する芸人が面白おかしく描かれているようだが、時おり怖くなることがある。

 

冗談かどうか分からないが、医師に隠れて食事などをする芸人を罵倒する言葉がネットで散見されるのである。医師と患者という関係を離れて、治療に沿わない芸人を「ダメな人間」のように視聴者が受け取るというのは、医学の介入で芸人の行動を制限することに何も疑問を抱いていないことの表れともいえる。それは「国民のため」の介入だからだ。

 

こうした現象を見ていると、「犯罪係数」導入の萌芽に思えなくもない(考えすぎか?)。

 

話が逸れてしまったが、陰鬱なSF的近未来を描きながら、体制と渡り歩く主人公にPSYCHO-PASSの持つ特徴があり、「犯罪係数」で管理される国民というのはあながち我々とも無関係ではないと感じてくる。

 

 

PSYCHO-PASSストーリー自体は実は日本のドラマによくあるパターンを丁寧になぞっているが、そこにSF要素と「国民のために」管理するという構造を入れたことが、単なるヒットで終わらず現代にマッチした要因だったのではないだろうか。

PSYCHO-PASS Sinners of the System Case.1『罪と罰』を見た感想

気づけば2か月以上ブログを更新していなかった。コメントもいただいていて、返信しなきゃなぁと思っていたのだが、どうも時間的に余裕がなくて後回しになってしまっている。

 

さて、1月25日より公開された三部作の映画PSYCHO-PASS Sinners of the Systemの第一作『罪と罰』を見てきたので感想を書いてみる。ちなみに、感想なのでネタバレはするが、特に考察などをするつもりもないのでゆるーく書いていく。

一応言っておくと、1期、2期、そして2015年の劇場版と、1度は見たが、まだ復習していないので内容がうろ覚えになってきていることには注意していただきたい。

 

さて感想に入る前に、 Sinners of the System って何だろうかと、大学受験レベルの英語力しかない脳みそで考えてみると、 sin とは罪のことで、 -er となっているので罪人だと考える。the system はシビュラシステムと考える。で、法的な罪では crime が使われるのに対して、 sin とは道徳・宗教的な罪を表す。of をふつうに所有・所属の of と考える。そうすると、Sinner of the Systemで、単に法的に人々を拘束する社会制度としてのシビュラシステムではなく、神格化された、あるいは道徳的指標となっているシビュラシステムに属する国民の中で罪を犯した者たち、といったニュアンスが含まれているのかもしれない。

だが、記事でのコメント(関智一、受け取った脚本を「しばらく読まずに熟成させた」―[第31回東京国際映画祭]『PSYCHO-PASS サイコパス Sinners of the System』舞台挨拶 | 作品情報 | CINEMA Life! シネマライフ|映画情報)では、

本作ではサブタイトルに「Sinners of the System」がついているが、その意味について塩谷監督は「サイドストーリー(SS)と掛けているところもある」と明かし、さらに「(これまでの作品よりも)もうちょっと絞ったところに焦点を当てたかった」と語った。

くらいの軽い感じの記述なので、アニメ第1期の槙島などのような大きなストーリーを描くのではなくて、個々に起こって公安局が対処した事件を描くくらいの意図しかないのかもしれない。

 

タイトルの話はそれくらいにして。

 

第1期では新たに公安局に入局した主人公の常守監視官が、新卒の未熟さから成長する過程を通して、シビュラシステムに対する疑いとそのシステムの中で公安の人間として正義を全うする葛藤が描かれていた。いわば既存のシステムに対する疑義の投げかけで終わっていた。

そして2期では、集団的サイコパスという概念が登場し、個人のサイコパス測定と異なる集団でのサイコパス測定を考える必要があるという投げかけで終わっていた。その集団的サイコパスというのが、社会は個人の集合では記述しきれないという現実社会でも通ずるところがあって面白いなぁと感じていたので、映画ではそこが掘り下げられるんだろうか、とちょっと期待していた。

だが、2015年公開の劇場版PSYCHO-PASSではそのへんを考えさせる内容がなかったように記憶している。

で、今回の新作を改めて振り返ってみると、なるほど2期の内容を踏まえて作られてるのかなぁという印象があった。

 

今回の舞台は青森の更生施設で、執行対象の人間を青森に送還するところから始まる(そういえば東北って全部農地になっていて、人は住んでいなかったのでは・・・?という素朴な疑問は忘れようWikiを調べ直したら東北ではなくて北陸の間違いだった)。その送還される人というのはその更生施設で心理カウンセラーをしていた夜坂泉だった。夜坂は、施設の管理者である辻飼が薬物と催眠療法によって更生施設の潜在犯をコントロールし、放射性廃棄物の処理をさせ、不要になったら殺すということを行っているという告発をしようとしていた。そして潜在犯の子どもである久々利武弥に打たねばならない薬物を自らが犠牲となって打ち、それによって攪乱状態になり東京で公安に捕まった、というそんな話だったと思う。

 

この更生施設の潜在犯個人にドミネーターが向けられても執行対象となる数値は出さない、にも関わらず、集団の中で個人の色相を濁らせる判断された対象には集団として強烈な敵意を向きだしにする。本来ならば執行対象の数値を示さねばならない行動を取る個人が群衆となり、暴力行為に加担している。集団的サイコパスが導入されているならば群衆の行動が変化した時に色相が濁って良いはずだが、そうなっていないのはこのシステムがザルなのか、それともダブルスタンダードなのか、いずれにしてもせこいシステムだなぁと感じる。

第2期の最後で、集団的サイコパス測定が行われるようになると、集団の色相を濁らせる個人を炙り出す魔女狩りが行われるようになるとシビュラシステムは懸念するわけだが、それがこの施設で起こっている。この施設では問題があると判断された個人の排除が、個々の潜在犯の色相を濁らせるという理由で行われていることから、集団としてのサイコパスというのは実社会では実装されておらず、またその概念自体もシビュラシステムレベルで保持されたままなのかもしれない。

2期でシビュラシステムは、システム自体のサイコパスを上昇させる要因となっている脳をシビュラシステムから排除した。そして集団的サイコパスの導入に非常に否定的だった。だからこそ、この施設で行われていることが公にされることを避けたい意図があり、送還という異例の措置を取ったのだと解釈できる。

ただ、この施設管理者である辻飼は、シビュラシステムの"超"合理的思考を理解しているというよりは、集団を自分自身が管理しているという陳腐な欲求によって突き動かされていた感じがある。最後はドミネーターで執行されてしまうわけだが、これもシビュラシステムに利用されていた最期だと考えると、管理化でシビュラシステムの思惑通りに動かされている人間の情けなさが描かれているように思う。

 

今回の映画では、常守監視官は脇役で、メインは霜月監視官だったわけだが、2期でシビュラシステムの実態の前に迎合し拍手するような描写があった。システム下で職務を全うしながらもシビュラシステムに疑いを持つ反体制的な常守監視官と、体制に迎合する霜月監視官という印象が私の中にはあった。

だが、映画の最後のほうで、青森の更生施設を作ったやり手の国会議員、烏間明(彼もまた、公安局局長の禾生と同じように、人間の外見を装ったシビュラシステムのような描写がある)に対してビンタをする場面で、霜月監視官には彼女なりの正義が存在するのだと感じて、印象が変わった。結局、東京の施設で暮らせるようになった久々利武弥に、なぜ助けてくれたのかと尋ねられた霜月監視官は「"正義"の味方だからよ」というようなことを言って映画は終わるが、現状に従うだけではない正義を提示されたような意図を感じた。

 

 

と、こんな感じだろうか。見終わった直後は、うーんやっぱり映画よりアニメのほうが面白いかなぁと思っていたが、改めて映画を振り返ってよく考えてみると、やっぱりPSYCHO-PASSは面白いという感じがした。あと曲とOP,EDがかっこよすぎる。

1期、2期を復習して世界観に入り浸ってからまた映画見たい。ブルーレイとか欲しいが金がない。

ドイツ旅行8日目(ベルリン観光)

以下の日程で4月の上旬にドイツ旅行に行ってきた。

1日目:フランクフルト到着(フランクフルト泊)

2日目:ハイデルベルク観光(フランクフルト泊)

3日目:フランクフルト→アイゼナハ アイゼナハ観光(アイゼナハ泊)

4日目:アイゼナハ→ヴァイマール ヴァイマール観光(ヴァイマール泊)

5日目:ヴァイマール→ライプツィヒ ライプツィヒ観光(ライプツィヒ泊)

6日目:ライプツィヒドレスデン ドレスデン観光(ドレスデン泊)

7日目:ドレスデン観光(ドレスデン泊)

8日目:ドレスデン→ベルリン ベルリン観光(ベルリン泊)

9日目:ベルリン観光(ベルリン泊)

10日目:ベルリン→フランクフルト フランクフルト国際空港から日本へ

 

ようやくベルリン観光のところまで来た。

 

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ドレスデンで泊まったホテルをあとにしベルリンへ。

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駅で見かけた落書き。フェミニストの団体の主張?

時刻のスクショが残っていたのでわかるが、ドレスデン ミッテ駅からノイシュタット駅へ移動し、そこからEC列車で1時間40分でベルリンへ。

旅行会社で予約していたホテルがベルリン中央駅から1駅だか2駅となりの動物園駅近くだというので、動物園駅へ移動。

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ここまでのドイツ旅行で駅がガラス張りの建物を見たのは初めてかもしれない。都市のイメージらしい感じがする。予約したホテルへ歩いて行ったが、ぶっちゃけどうせ電車に乗るならもう一駅となりのSavignyplatzのほうがホテルに近かった。旅行会社は近いと言っていたが、実際歩いてみると結構距離があった。

ホテルに荷物を預け、ベルリンの観光へ向かう。

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駅で見かけた自動販売機でジュースを買った。今まで自動販売機って見たことなかったかも。

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ベルリン中央駅へ。さすがに首都の駅。やはり建物が縦に低くて横に大きいのはドイツでよく見るつくりと同じだが、壁が一面ガラス張りになっているだけで近代都市というイメージになる。これでも相当大きいと感じたが、ライプツィヒの駅のほうがでかいらしい。

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首都の中央駅だけあって外に出ると摩天楼が林立している光景を想像していたが、まったくそんなことはなく、広大な敷地に建物がところどころ建っているという景色だった。都市といえば東京やニューヨークといった景色を思い描いていた私からすると、ドイツの都市イメージと日本のそれとは大きく異なるのかもしれない。

ベルリンの人口密度が3947人/km²、フランクフルトが2966人/km²、ミュンヘンが4275人/km²と、実はミュンヘンが最も人口密度が高いらしい。ちなみに東京は6320人/km²らしいので、東京の異常性がうかがえる。

フランクフルトでは高いビルが印象だったが、首都ベルリンではそうでもないことから、当たり前なのだが都市といえど建物に共通性はあまりない。むしろ東京の都市イメージが高いビルで形成されているというその源流はどこから来ているのかというのを検証してみたら面白そうである。

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遠い記憶を頼りにしているが、ドイツ連邦首相府(たぶん)。
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国会議事堂(たぶん)。

ドイツの国会議事堂は目の前に芝生が広がり、人がそこを普通に歩いていることから、政治に対する国民との距離感も違うのではないか。

単に重厚なつくりの建物ではなく、ガラスが張ってあるところが、過去からの継承と今のベルリンらしさの両方を兼ね備えている気がしてオシャレに見える。

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そこから歩いてベルリンフィルハーモニーに向かう。そのへんの公民館かっていうような簡素な建物。

ちょうど毎週火曜日の午後に無料で演奏会を聴けるということで、ぜひ聴きたいと思って向かった。中に入ると係員の人がコインのようなものを配っていて、それを受け取って、入場口のところにいる係員の持っている袋に入れて中に入る。普通に日本人に見える係員もいて、やはりベルリンになるとそのへんに日本人がいるんだと安心した記憶がある。

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中に入るとすでに大勢の人がいて、椅子に座れなかった人たちは地べたに座り込んでいた。もうちょっと中に行きたいと思って進むと、

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椅子の後方に立って見ている人がいるエリアがあったので、ちゃっかりそのへんの良い場所をキープ。

2名のパーカッションのみの演奏会で、にわかには弦楽器などの演奏よりも、リズムがドンドコポコポコ聴こえる演奏のほうが感覚的に面白かったので楽しかった。

プログラムによると最初の演奏のみ1727年の作曲で、ほかは1990年代から2018年までの新しい曲のようだった。

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外に出て食事をしようと、世界の歩き方に乗っていた店でプレッツェルとベルリーナーヴァイセを頼む。

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プレッツェルとソーセージがセットになっていた。左のジュースのような飲み物はベルリーナヴァイセ。ベルリンの地元民は飲むのかわからないが、観光客が飲むのか、入ったベルリンのお店ではたいがい置いてあった。

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ブランデンブルク門のほうへ向かおうと歩くと、大きな公園が広がっていてのどかな時間が流れている。都市なのに広大な公園がすぐ出てくるというのは純粋にいいなと感じた。

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かの有名なブランデンブルク門。この門から向こう側は東ベルリンだったらしい。

ブランデンブルク門から国会議事堂のあたりを散歩していた時に、中東系の顔をした女数人に声をかけられた。今までそういった類のものはすべて無視していたが、暑さと旅行の疲れがあったのか、ついその声かけに反応してしまった。寄付してくれとへたくそな英語で言ってくるので、面倒なことになったいやだと10ユーロくらい渡してどこか行こうと思っていたら、財布に50ユーロしかなかった。するとその女にエクスチェンジエクスチェンジ!と言われながらその50ユーロを盗られてしまった。

普通の旅行客なら騙されないと思うが、こういった類の連中には財布を見せたらもうおしまいだと思って深く反省した。というか、ずっと腹が立って仕方がなかった。自業自得なんだけども。

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旧東ベルリン側から見たブランデンブルク門

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ブランデンブルク門からメインの通りをずっと行くと、途中にアンペルマンのショップを見つけた。ほしいものはたくさんあったが、あまりお金もなかったのと、中東系の女に金を盗られたことから、ちょっとだけグッズを買っていった。

調べると東京の白金にアンペルマンのショップがあるとのことだったが、今は閉業していることに帰国してから気づいた。旅行先で欲しいと思ったものは、多少散財しても旅行先でぜひ手に入れることをおすすめしたい。

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なんか忘れたが有名な建物か。

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でかいね。

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ベルリンにサムスンの建物があった。

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東ドイツ博物館へ。Dance Dance Revolutionではない。

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中に入ると平日にも関わらず大勢の人がいた。特に遠足なのかなんなのかドイツの高校生のような集団がたくさんいて騒いでいて、日本の高校生と変わらないもんだなとしみじみ思った。

夜はせっかくなのでベルリンフィルで演奏を聴きたいとずっと思っていた。

その前にスーパーで飲み物を買っていこうと行ってレジに並んだら、レジの男性店員がスキンヘッドでハローと言ってもレシートを受け取っても何も言ってくれない無愛想な感じで怖かった。

昼にベルリンフィルに寄った時に、係員に夜のチケットはここで買えるかとつたない英語で尋ねると、夜の公演はそんな人気のあるものじゃないし学生なら夕方に当日券を買ったほうが安いよと教えてもらった。

ネットでベルリンフィルのページを見ると、どうもその日の夜はベルリンフィルじゃない学生団体のような人たちの演奏だった。同日に別の部屋で室内楽の演奏をやっているようだったので、そっちのチケットを買いたいと窓口に言うと、それはここじゃなくて向こうで売っている的な話だったので、別の入り口に回った。

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客はちらほら集まっていたが、それほどきっちりした服装をしているようでもなかったので、これなら行けると思って窓口でチケットを買った。

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中に入るとこんな感じで、始まる前にお酒やらを買って丸テーブルで飲んで客がゆっくりしている。

席に座ろうと部屋に入ろうとしたら、荷物を預けてきてくれと言われ、ロビーで荷物を預けて中に入った。

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安い席なので空いたスペースにただの椅子が置かれているだけだったが、演奏者とこれだけ近いのでずいぶん得だと思った。

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演奏された曲はバルトークやら何やら、ぶっちゃけ変な曲だった。

演奏が終わると全員で拍手を続けて、アンコールにもう1曲演奏してくれた。時間は19時から21時くらいだったと思う。

この日は50ユーロ盗られたことにずっと腹を立てながらも、演奏を1日2回も聴けて満足だった。ただ、50ユーロ盗られなければしっかりした夕食を2回食べられたと思うと、やっぱり腹が立って仕方なかった。

 

8日目おしまい。

近頃のナショナリズムの風潮を考えてみる

ナショナリズム」という言葉にいつ出会ったかと考えると、高校の世界史の授業で初めて耳にしたような気がする。アメリカでトランプが大統領になってから、世界各国でミニトランプと言われるような政治家が台頭し、近頃ナショナリズムという言葉が再び耳にされるようになったのではないか。

第二次大戦後の世界では米ソ冷戦の時代が長く続き、その時代は国家単位での競争というよりは資本主義 対 社会主義という政治・経済イデオロギーの対立が軸であり、ナショナリズムが着目されてもいずれかの体制に依拠するようになっていた。ソ連崩壊により小国家が独立し世界はイデオロギーの対立という基軸から、多数の国家の対立という多方向のベクトルを持つ複雑な情勢に変化した。ソ連崩壊から10年後、アメリカ同時多発テロ事件が起こり、国家単位の認識に宗教が絡むようになり、世界認識はより複雑で多義的となっている。

 

詳細に調べていないが、9.11後にナショナリズムという語が登場した際には、イスラームの中東国家からの主張だったの対して、昨今の様子を見るとアメリカやイギリス、フランス、ブラジル、フィリピン・・・など、大国側からナショナリズムの台頭があるように見える。

 

そもそも「ナショナリズム」という言葉の使われ方自体が曖昧で、ひと言でナショナリズムと言われた際にどの範疇で述べているのかがわかりづらい。『新明解国語辞典 第六版』によると、ナショナリズムとは、

1、民族主義。2、自国民の利益・福祉の確保を第一とする考え方。国民主義。3、国粋主義国家主義

とある。字面だけ見ると、ずいぶん使われ方の断るニュアンスがナショナリズム一語におさまってしまっている。批判的に「あいつはナショナリストだ」と言った場合は3の使われ方だろうし、イギリスのEU離脱などは2の用法が正しそうに見える。

用語それ自体がこれだけ多義的だと、ナショナリズムに関する体系的な研究もあまりないのではないか。

1983年に書かれたベネディクト・アンダーソンによる『想像の共同体』では、

ナショナリズムのもつあの「政治的」影響力の大きさに対し、それが哲学的に貧困で支離滅裂だということである。別の言い方をすれば、ナショナリズムは、他のイズムとは違って、そのホッブスも、トクヴィルも、マルクスも、ウェーバーも、いかなる大思想家も生み出さなかった。(p.23)*1

 とある。80年代にそう述べられているということは、ナショナリズム概念が登場してから長らく十分な研究成果を生み出せていないように思えてならない。それから30年以上経ち、現在では研究も進んだかもしれないが、それでも、専門家でない素人が本屋で本を読んで十分に理解できるレベルには達していないのではないと感じる。

ただ、専門家にはなれないので、適当にかいつまんで考えてみる。

 

同書によると、ナショナリズムは宗教共同体と王国に起源を求める。では、長年続いたそれらから国家の一員という目線に国民を変化させたものは何かというと出版物だという。出版物によって時間的同時性を俯瞰すること*2が可能となった。同じ言語で同じ内容の出版物が広がることが、同一の国民という認識の起源となった。

1914年から第一次世界大戦が始まるわけだが、出版物に起源を持つことを考えると世界の産業化、合理化、つまり近代化とナショナリズムというのはパラレルに連動するものだとよくわかる。産業化により出版物や新聞の大量生産が可能になると、より多くの国民に時間的同時性が認識され、同一の国民という意識が根付くようになる。くわえて、近代化に伴って国家の行政システムが管理されるようになると、かつての王国民が城から離れるにつれ王に対する帰属意識が薄れていったのに対し、単色で塗りつぶされた地図のように国民管理が行き届くようになる。合理化により発展してきた科学技術が導入された兵器は大量殺人が可能となる。それらが全て収斂して弾けたのが第1次世界大戦の時期だったのではないかと思う。

 

ならば、昨今叫ばれるナショナリズムの起源はいったいどこにあるのか。

実は、むしろ9.11テロが起きた後の世界のほうが世界は混沌としていたのではないか、ナショナリズム的な政治家の台頭だけという図式は実は明確なのではないかという気がする。

というのも、宗教と国家という図式になると、変数が多すぎて認識しづらいのに対し、今回のトランプの登場などの状況は近代化の時の意識に似ているのではないかと思われる。

出版物による言語の統一と時間的同時性がナショナリズムの起源に位置したということをヒントにすると、やはりSNSの拡大と浸透が近頃の風潮の起源になっているはずである。かつて時間的同時性は新聞・テレビといった、特定メディアから不特定多数へという構図でなされていたが、SNSによって不特定多数から不特定多数へという図式へ変化した。また、時間的同時性の間隔が日単位・時間単位だったものが、今や分単位・秒単位へと変化している。それに伴い情報量も圧倒的に増え、そうした中から情報を抜き取ることにより形成された、デジタルな国民意識である。

全体として眺めると、宗教といった新たな変数の導入というよりは、言語の統一と時間的同時性という従来の変数につく係数の変化によって結果に影響が出ているというイメージである。

したがって、いま現在の風潮の研究として主題に定立すべきは、国民意識それ自体というよりも意識がSNSによって形成される構造といった、社会心理的な枠組みであると思われる。

 

アメリカ大統領選で、ケンブリッジ・アナリティカ社がFacebookを通じてトランプ陣営に有利に働くように動いたという疑惑がある*3。インターネットメディアの登場前には、出版物のプライバシー権などを巡って日本でも裁判が行われ、自由と規制のラインをどこに引くかがたびたび議論されてきた。今回の事例のように大手企業がSNSを通じて人間を操作したという手法だけでなく、SNSを通じて情報を発信する際の共通の認識を、ナショナリズムという視点を踏まえてこれから形成していく段階に入っていくべきである。

 

定本 想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行 (社会科学の冒険 2-4)

定本 想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行 (社会科学の冒険 2-4)

 

 

*1:訳文は書籍工房早山のもの 

*2:小説などでは複数の登場人物が同じ時間にどこで何をしていたかが記述され、読者は同じ時間でその世界で起こっていることを認識することができる

*3:ケンブリッジ・アナリティカ社めぐる疑惑 これまでの経緯 - BBCニュース