フエーヤー? フエーヤー・・・・・・チョッ!

受験生が、講評だけを辿って、今までにない傾向だとか、難解な問だとか、と言ってみても意味がないのである。

Eテレ『隠されたトラウマ~精神障害兵士8000人の記録~』を見て思ったこと

ひょんなことから普段使っているTwitterのアカウントが凍結されてしまい、未だに凍結の解除ができずにいるため、しばらくTwitterを眺めていない。Twitterで告知したい内容があったタイミングだったのでかなり不便に感じたが、有象無象のリツイートを見ずに過ごすというのも悪くないかもしれない。

 

さて、最近思ったことを特に方向を考えずに書くので、何か結論があるというわけではない。

 

先日そろそろ寝ようかと思っているときにたまたまEテレをつけたら、『隠されたトラウマ~精神障害兵士8000人の記録~』なる番組が再放送されていて、ついつい最後まで見てしまった。太平洋戦争によって精神疾患を発症した日本兵の診療録をもとに、どのような人がどのような状況でどのような症状を発症しどのような経過をたどったかを特集するドキュメンタリーであった。

国府陸軍病院で診察された、約8000人の、戦争によって精神疾患を発症した患者のカルテが残っていたということがまず驚きだったが、そのカルテをもとにどこの戦地で何人発症したか、何の疾患を発症したか、ということまで分析していたのが興味深かった。

録画していなかったので詳細はうろ覚えだが、疾患の内訳は統合失調症が多数を占め、他は外傷性てんかんなどが並んでいたという記憶がある。その当時はPTSD心的外傷後ストレス障害)という疾患概念がなかったため、おそらくPTSDに該当する症状を示した患者の疾患名は「臓躁病」と記載されていたという。

 

少し前に、戦後よく見られた「カミナリおやじ」は、実は戦争によってPTSDを発症した人だったのではないかという記事が話題になっていた*1

こういう記事を見ると、戦争で発症する精神疾患といえばPTSDという認識が勝手にできあがってしまうが、実際には多様な精神疾患を発症するということがわかる。

 

ふと思い出したことがある。私の母が高校生だった頃、当時の英語の教師が、普段は穏やかに話す人なのに、突然授業中に「B-29が来るぞ!」と叫んで、生徒はみんな机の上に伏せさせられていたことがあったという。とはいえ高校生なので、その中の誰かが伏せながらも笑うと、チョークを投げられ、「何笑ってるんだ!」と怒鳴られたらしい。しばらくすると、何事もなかったかのようにまた授業を再開していたそうだ。

その話を聞いた当時は変なおっさんの面白い話くらいに思っていた。

専門家でもなんでもないので詳しくは言えないが、PTSDの症状は再体験症状、回避/麻痺症状、覚醒亢進症状の3群から構成されるという*2。この教師が突然こう叫んだのも、フラッシュバックによる再体験症状だったのではないかと今になると分かる。

同書ではPTSDと海馬の萎縮に関する知見について記されているが、遺伝因子と環境因子の両論併記し、海馬の萎縮がPTSDの原因か結果かはなお検討が必要だと記している。心理学分野では、モノアミンオキシダーゼAの活性が低い子どもでは虐待を受けるとより反社会的行動を取る傾向にあるというデータがあるようだ*3。個人的には、PTSDに関しても、遺伝因子と環境因子の相互作用による、とするデータが出てくるのではなかろうかという感じがする(もう出ているのか知らないし、ド素人が勝手に思っているにすぎないが)。

 

考えてみると、医学部の教育では、Evidence Based Medicineと言われるようになったためか、疫学調査臨床試験の手法について教わることは多いが、こうした病跡学的なというか、過去のデータからアプローチするということは一切ないように思う。今回の特集でも、こうした仕事は歴史学の仕事のようであった。むしろ、こうした多くのデータが残っている事例が稀有なほうであり、これを適応できる事例のほうが圧倒的に少ないからであろう。

しかし考えてみると、疫学調査などは実際のところ文系的な仕事のように見える。

いわゆる理系と文系の手法の違いの一つに、再現性の有無があると思われる。理系では同じ状況を再現し、同じ事象が観測されるか否かなどを量的・質的に調べることができる場合が多いだろうが、文系で歴史や集団などを扱う場合には再現性の確保が困難となる。もう一度江戸時代と同じエートスを有した人々、社会制度、地理的条件、など諸々を確保し実験をすることなど不可能である。

そうしてみると、疫学調査でのケースコントロール研究では、再現できない過去を振り返って検討するという意味で文系的発想に近い気がする。しかし、医学は自然科学的な顔をしているためか、歴史学ほど文献を頼りにするという手法は医学にはなじまないというように思えてくる。だが今回のEテレの特集のように、今の医学のみならず後世の歴史学にも役立つ可能性だってあると考えると、「記録を残す」という面で、エビデンスレベルは低いが症例報告というのは地道でありながらも重要な意味を持つのだろうという気もしてくる。

 

C.ライトミルズの『社会学的想像力』(ちくま学芸文庫、2017)では、社会科学が政治や行政の権力の正統化に利用されるように変化したと述べられている。それにともなって、ラザースフェルドの定量的な社会調査を空疎なものになりかねないと批判している。

社会科学の問題は普通、歴史的社会構造と関連をもつ概念によって立てられるものである。そうした問題をリアルなものとみなすのであれば、結果はどうあれ、まずは構造的に意味のある問題を研究し、解明するのに役立つ推論を引き出すことができるかどうかを確かめるべきである。そうした確認もせず、小さな範囲ばかりを精密ぶって研究するのはばかばかしいと思われる。(p.120)

ライトミルズがここまで厳しく批判しているのを見ると、ちまたにある、意味のある問題かどうかすらわからず、かつ方法的にも粗末な分析をしているような調査は学問的には本来は価値がないはずのものだというのがわかる。 

もしかしたらそんなデータを集めて何になるのだという疫学調査もあるのかもしれない。方法論的に確立された手法であるため科学的には見えるが、その差が本質的に何の意味があるのだという研究も世の中にはあるのかもしれない(知らないけれど)。

とはいえ、臨床で患者を診る中で、ある一定の法則を経験的に感じ、それを疫学調査に応用するという流れが一般的であろうから、「それ調べて意味あります?」というものはそれほどないのかもしれない。

 

 

あまりに話があちこちに飛びすぎて本当にまとまりがなくなってしまった。引用もあまりにも強引な文章になった。

まぁ、今回は、「最後に参考文献を番号でまとめるとそれっぽくてかっこよく見える」ということが結論で。

*1:「カミナリおやじ」は誰? 平野啓一郎 :日本経済新聞

*2:大熊輝雄. 心的外傷後ストレス障害(PTSD). 現代臨床精神医学. 改訂第12版: 金原出版; 2013. p.287

*3:Caspi A, McClay J, Moffitt TE, Mill J, Martin J, Craig IW, Taylor A, Poulton R 2002 Science 297:851-854

ドイツ旅行7日目(ドレスデン観光)

以下の日程で4月の上旬にドイツ旅行に行ってきた。

1日目:フランクフルト到着(フランクフルト泊)

2日目:ハイデルベルク観光(フランクフルト泊)

3日目:フランクフルト→アイゼナハ アイゼナハ観光(アイゼナハ泊)

4日目:アイゼナハ→ヴァイマール ヴァイマール観光(ヴァイマール泊)

5日目:ヴァイマール→ライプツィヒ ライプツィヒ観光(ライプツィヒ泊)

6日目:ライプツィヒドレスデン ドレスデン観光(ドレスデン泊)

7日目:ドレスデン観光(ドレスデン泊)

8日目:ドレスデン→ベルリン ベルリン観光(ベルリン泊)

9日目:ベルリン観光(ベルリン泊)

10日目:ベルリン→フランクフルト フランクフルト国際空港から日本へ

 

このブログで一番読んでくれている方が多いのが、実はこのドイツ旅行の内容のようなので、半年も経ってしまったが最後まで旅行を振り返ってみようと思う。

 

ホテルで一人で食べる朝食にもだいぶ慣れてきた。相変わらずホテルで日本人を見かけることはないが、一番落ち着いて食事ができる場所がホテルの朝食なので、できるだけ腹にいろいろ入れてから観光へ向かった。

 

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まずは地球の歩き方でおなじみの君主の行列の壁画。写真のように一部足場が映り込んでいるが、修復か何かをしていたのだろうか。人の大きさと比べるとその大きさがわかる。

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iphoneのパノラマ写真でも上手く入りきらないほど、横に大きく伸びていた。

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途中でワーグナーのなんかよくわからんものを見つけた。

 

さて、このとき、いくら観光地のドレスデンとはいえ、さすがに一日中見るところもあるのか、と思い、本に載っていたエルベ川の遊覧船に乗ろうか考えていた(気がする)。けれども、どうやら乗り場らしいところを見つけたが、もう得意でない英語でなんとか意思疎通するのに疲れていて、とりあえず歩いて観光をしようと方針を変えた。

 

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歩いてアウグストゥス橋を渡る。

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反対側は何やら工事をしていて、あまり綺麗な写真は撮れなかった。君主の行進といい、ツヴィンガー宮殿といい、何やら工事だらけでいろいろと逃している気がする。

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橋を渡り対岸に着くと、宮殿のある側の景色が見える。広く芝が張られていて、天気も良く、ヨーロッパ、という感じの建物が見え、のどかな雰囲気だった。ただ、一部工事の様子が写っているが・・・。

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川のほうまでくるとこんな感じ。だいぶ前に日本で乗ったタクシーの運転手が、「あれがスカイツリーですよ」と言って見ると、まだ建設中だった。その時に、「スカイツリーができたらいつでも見られますけど、建設中なのは今しか見られないですからね」と言っていて、なるほど、そういう見方もあるかと思った(見たところで特でもねえだろ)。

 

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橋を越えて少し歩くと、騎馬像が出てきた。なんだかよくわからんが、こういう像があったら観光客は写真を撮るらしい。左下の子供も、おばあさんに写真を撮らされていた。

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その像から反対を見ると、まっすぐに伸びるハウプト通りになる。こういう景色じゃないですか、日本人が西欧にあこがれるのって。

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その通りのわきには、靴屋さんやスーパー、カフェなどの店が並んでおり、平日だったためかそこまで人は多くなかった。その後ろにはマンションのようなものが多くあり、日本の団地の中にスーパーや本屋があるのと近い雰囲気を感じた。

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せっかくなのでドイツの本屋に入ってみた。パックのツアーなどでは各地の有名どころを見て終わってしまうが、こういう街の景色の中に入っていけるのは自由な旅行の良いところだろう。

おもてにはポストカードが売られており、中に入るとクラシックのCDや旅行ガイドブック、参考書、健康な食事の本など様々売られており、日本の本屋と相違なかった。ドイツの健康本にも、医者らしき人間が白衣を着て表紙に写っているのが、どこの国でも権威づけで印象付けるのだな、というのが興味深かった。

日本語学習の教材も売られており、イラストに描かれたものの名称が日本語で記されているものだった。ところどころ「こんな日本語覚えなくていいだろ」と思う箇所があったが、細かくは忘れてしまった。買っておけばよかった。

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その中に、comicとは別にmangaのコーナーがあった。ニセコイToLOVEるが置いてあった気がする。ドイツでも漫画はmangaなんだなぁ。

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途中何やら石を敷いて工事していた。

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通りを抜けたあとに道路から見た景色。ここからまた来た道を戻った。

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ルターの像。もうどこで撮ったものか覚えていない。

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後ろの教会にも入った気がするが、どこだったか覚えていない。

 

ドレスデンから電車で30分ほどのところに、陶器で有名なマイセンがある。そこに行けば安くマイセン陶器が手に入るようなのだが、そんなエネルギーはなかったので、ドレスデンにあるマイセン陶器の店でテキトーにカップと皿を購入した。安いものではないのだが、あまりにテキトーに選びすぎて、家に持って帰ってから半年経つものの、ほとんど使っていない。しかも、せっかくのマイセンのカップだし、と思うと、どうも使う気になれない。

ドイツの店では挨拶が大切だと旅行中に分かってきたので、マイセンの店でもとりあえずハロー、きゃないしーいんさいど?みたいなことを言って適当に皿を見ていた。

すると、店員が何かお探しですか、みたいなことを言ってきたので、(見てるだけだよ・・・)と思いつつも、適当にカップがほしいみたいなことを言って乗り切った。結局カップを買うときに荷物が増えるのがいやだったから、郵送できないかと尋ねたかったのだが、言葉の壁は厚く、そんなことは言えなかった。

ただカップを買っただけなのに、がっしりした箱に包んでくれた。ただ、なぜかわからないが、その箱からうんこみたいな匂いがしていた。

ホテルまで戻ってそのカップを部屋に置き、ベッドで少し横になっていた。最初は楽しい旅行だったが、さすがに1週間言葉もうまく話せず、少し疲れてきていた。

その後、また観光へ向かった。

 

ツヴィンガー宮殿やゼンパーオーパーのあるところに行くと、赤い台車を出しているアイスクリーム屋さんのような人が何人か立っている。実はそれがドレスデン市内の観光バスのチケット売り場で、そこに行けばバスに乗れるらしい。チケットを買おうとそのおばさんに話しかけてみると、さすがドイツの京都ドレスデン、まったく英語が話せない人だった。

こちらが英語で喋っても仕方がないので、もはや日本語で話していたと思う。完全にジェスチャーのみで、「このマークのバスはドイツ人向けだから、こういうマークのバスに、このチケットとイヤホンを持って乗れば、日本語のガイドを聞くことができる」ということを理解できた。そのおばさんがしきりに「ぬあー」「ぬあー」と言っており、なるほどonlyということかと分かった。nurはドイツ語で「のみ」という意味らしく、ドイツ人専用のバスに乗らないように、と言っているようだった。不思議なことにわかるものである。

 

ここからはバスから撮った写真をひたすら並べていく。バスは宮殿前の道路に停まっていた。

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乗っていたのは私以外に3,4組だった。

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上に変なのがいる建物。

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なんかの建物。

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昼に渡った橋。

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文化宮殿・・・だろうか。

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きれい。

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のどか。

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よくわからん。

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ガラス張り。

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おしゃれなビールか何かの広告が描かれたビル。

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のどか。

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フォルクスワーゲンの工場だった気がする。

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変な写真だが、向こうの大学病院だか何かで撮ったものな気がする。

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道路。

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川を挟んで向こうにある古城だったと思う。何か音声での説明があった。

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なんだかわからん。

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川の景色。

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なんだこれ。

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なんだろう。

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建物。

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建物。

 

市内バス観光は全体で1時間ほど回っていた記憶がある。もう終わりかな、と思うと意外と続いたので、天気が良くて暖かい季節なら、上の階で街を見るのがおすすめである。

市街地を見た後、山のほうを少し上がっていったが、そこに別荘のようなものがいくつもあり、ドイツ人は休日をそこで過ごすようなことを言ってきた気がする(それか私が勝手にそう思っただけかもしれない)。

 

さて、バスを降りてから、バウムクーヘンの店で甘いものを食べようと思っていたが、何やらドイツ国旗を振る人や警察が見えていたので、なんだかよくわからずにその場所を避けた。結局また、ゼンパーオーパーそばのカフェで夕食をとった。

結局、ペギーダの集会だと後でわかったのだが、それについてはこちらで書いている。

cemedine.hatenablog.com

 

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カフェの窓から見える夜の景色。リアルディズニーランドという感じか。

 

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黒ビール。

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ドイツ人はやはり笑わない印象があり、ここのカフェの女性店員も注文した時に愛想は全然なかったのだが、料理を食べているときに、「good?」みたいなことを真顔で突然聞いてきて驚いた。それはおいしい?という彼女なりの気づかいだったのか、料理に手違いはない?という意味だったのか。

奥でシェフが作っているようにも見えなかったので、おそらくレンジでチン的なものなのだろうと思ったが、味は良かった。

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バウムクーヘンを食べられなかった腹いせか、この日はデザートまで食べたようだった。ケーキはシナモンのような独特のにおいがして、しかもそんなに甘くなくて、そこまでおいしいな、という感じではなかった。やはりここまでの印象で、ドイツはスープがおいしい。

 

もうちょっとがんばって、ベルリン観光まで書き上げます。

『その姿の消し方』(堀江敏幸、新潮文庫)レビュー

久しぶりに小説を読んだので、少し感じたことを書いてみる。

その姿の消し方 (新潮文庫)

その姿の消し方 (新潮文庫)

 

 

堀江敏幸の本を読んだのは『雪沼とその周辺』(新潮文庫)に続いて2冊目だった。

雪沼とその周辺 (新潮文庫)

雪沼とその周辺 (新潮文庫)

 

もともとこの作者の小説を読み始めたのは、センター試験の現代文に使われていたことがきっかけだった。私はもともと本を読むタイプではなく、読むのがとても遅いので、なるべく質の良い(とされる)ものを読みたかった。そこで考えてみると、やはりセンター試験で用いられる文章は良いものが多いに違いないと思って、そこで読むようになったのである。

 

著者の本を2冊読んだ感想は、一言でいうと「静かなあたたかさ」があるということだった。

『雪沼とその周辺』は短編集なのだが、雪沼、というように、山あいの寒い地域にある田舎が舞台となっている。全ての短編はその街に住む人々の物語で、異なる話だがどこかでつながりを持っている。中でも『スタンス・ドット』と『イラクサの庭』が好きである。

『スタンス・ドット』では、客が一人もいないボウリング場を閉業する高齢の男性のもとに、カップルがたまたまトイレを借りに来る。せっかくなので店が閉まるまで、とカップルに無料でのプレイを勧め、男性がスコアを付けながら回想する物語になっている。

イラクサの庭』では、雪沼の町にフランス料理屋を開いていた女性が亡くなる時、何かを言おうとしていたが、それが何かを聞き取れなかった。その教え子が、慰労の会で何を言おうとしていたのかを話をする物語である。

 

単に心が温まるストーリーを描くだけならば、読後にあたたかい気分になれるように要素を配置すれば良い。だが、やはりこの小説は舞台がすべて「雪沼の町」という、外ではひやっとした穏やかな風が吹いており、山あいに点々と町が形成されている背景があるこそ、人々のつながりがより浮かび上がってくるように感じる。

例えば『スタンス・ドット』では、寒い地方の山あいにある古びたボウリング場を閉業する日、という場面設定で、すでにより男性の孤独感が描写される。そこにふいに現れた若者のカップル、という、一人の男性高齢者と対比的に明るい存在を配置することで、ボウリング場が突然明るい雰囲気に包まれる印象が強くなる。

男性はカップルのスコアを付けるという役目を負いながらも、自身がボウリング場を開いた半生を振り返る。眼前で若者がボウリングを楽しんでいるという現実とは対照的に、男性は過去を懐かしんでしまう。かつてこの若者のように活気があった自分を振り返る場面は、素直な心温まる場面とは言いがたい。自分が失ってしまったものが前提にあって、過去のノスタルジーに浸っているのである。

男性が過去を振り返る高齢者になってしまったというのを強く印象付けるのが、補聴器の不調によって若者の言葉がよく聞こえなくなる場面である。過去の記憶にまどろみ、現実の世界との隔絶が確かに進んでしまっている男性というのがぼんやりと示される。

 

ふいに若者に、最後の一投を投げるように勧められ、男性はボールを投げる。過去の回想で出てきた「ハイオクさん」が投げたボールがピンを弾くときにする独特の音を、男性はずっと求めていた。この男性はもう二度とボウリングをしないかもしれない。するつもりもなかったかもしれない。そんな男性が、ふいに若者に投げるよう勧められてボールを投げた場面が、次のように書かれている。

…リリースの瞬間、指がへんなぐあいに抜けて青年そっくりにボールをレーンにたたきつけるような投げ方になり、にもかかわらずレーンに落ちる音がすうっと立ち消えてボールはくるくると滑りながらスイートスポットにたどり着き、あとひと息というところで古いピンの音がガンゴーンガンゴーンといっせいに鳴りはじめ、それが聞こえない耳の底からわきあがる幻聴なのか現実の音なのか区別できぬまま、たち騒ぐ沈黙のざわめきのなかで身体(からだ)を凝固させた彼の首筋に、かすかな戦慄が走った。(p.38)

投げたボールが、ストライクだったのかそうでなかったのかは、それほど問題ではないだろう。ふつう、ボールを投げた後はピンの行方を気にするものだが、ピンの音を聞いているのがこの男性らしい。

ただ、最後の一文が、なぜ「戦慄」なのだろうか。

戦慄という語には、恐怖が付きまとう。いわゆる最近の使い方で「鳥肌が立った」というような、興奮や感動で心が揺れ動くというようなニュアンスではなかろう。確かに男性に、恐ろしさを感じさせる何かがあったのである。

ぱっと考えられるのは、ずっと求めていたピンの弾ける独特の音を、この一投で「出せてしまった」ということによる戦慄である。長年追い求めていたあの音であり、ボウリング場を開業する時に亡くなってしまったハイオクさんの音を、閉業する際に自分が出してしまったということによる恐ろしさがあったのかもしれない。それは、自身の死を暗示させるものであるかもしれないし、あるいは、自分の生きがいの喪失であるかもしれない。おまけに、これが、まさしく「最後の一投」であったことで、本当にハイオクさんの音を出せたのかを確認することはできなくなってしまった。しかし、自分の耳には確かにハイオクさんの音が聞こえてしまった。求めていながらも自分では出したくないという相反する感情を示しているように感じられるのである。

 

この後、カップルも男性も、意外な交流ができたとあたたかな気持ちになったに違いない。だが、カップルは旅館に、男性はまた静けさの戻ったボウリング場に一人になる、となるだろうと想像すると、社会の中心から外れつつある男性がより際立って見えてくる。

けれども、カップルも男性も、ひょうんなことから短い時間の交流を楽しんだのは間違いないし、全体として読後にとても良い気分になるのである。人物の静けさに裏打ちされたような、人と人とのつかの間の交流をあたたかく描く、そんな印象が堀江敏幸の小説には感じられるのだ。

 

 

 

と、ここまで書いて、『その姿の消し方』の感想を書こうと思ったのに、完全に『スタンス・ドット』の感想になってしまった。まあ、これはこれで良いとして、次はその姿の消し方の感想を書きたい。

千田有紀から社会学ディスへ

NHK番組特設サイトの解説にキズナアイが出ていたことについて、社会学者の千田有紀氏(武蔵大学教授)が批判的な記事を書いたことから、私が観測した範囲でTwitterでは話題になっていた。

学者をディスることはTwitterでは日常茶飯事なので、別に大して気にしていないでいたが、気づいたら「こんな人が教授になれる社会学の界隈ってヤバいのでは?」という盛り上がりを見せていた。

で、恐らく、千田氏がTwitterで査読論文の少なさを指摘された際に、「査読論文より招待論文のほうが価値がある」と述べたことで、この「(日本の)社会学ヤバい」言説に拍車がかかったように見える。

 

私は社会学系の本を読むのが結構好きで、大学の授業でも社会学の授業を面白いと思っていたので、思ったことを少し書いてみる。ちなみに、私自身は趣味的に社会学の本を読んでいるだけであり、全くの門外漢であるので、どうでもいいという方はここで戻っていただいたほうが時間の無駄ではないと思う。

 

 

社会学ヤバい」言説側の安易な批判に対して。

・いち学者の資質と学問的価値を同列視するな

社会学では千田氏レベルでも教授になれる→社会学ヤバいと評価を下すのはあまりにも早合点だし、愚かなことである。一人の目立った学者がおかしなことを言っているからその学問分野自体がおかしいという話になってしまうなら、例えば医学など到底成り立たない。「がんもどき」で有名な近藤誠は慶應義塾大学の講師だったし、未だにがん放置療法を提唱している。主張に問題を感じるならば、その主張を批判するべきであり、その射程を学問自体に広げるのは意味不明である。

しかし、千田氏は査読論文を全然書いていないのに教授になっている。理系ではそんなことはあり得ない。そういう批判がありそうなので、次に思ったことが、

 

・他分野の方法論を押し付けるな

と、書くと、ぶっちゃけ他の分野のことをあまりよく知らないので、急に弱気になってしまうのだが・・・。

査読論文がより重要っていうのは、そもそも理系でもそれほど一般的なのだろうか。今のところTwitterで「査読」とかで検索するといろいろ話題なので、それのみが重点を置かれる学問分野を一般化するな、というのはやはりそうなのではないだろうかと感じる。

そして、「査読」を重要視する人たちが何を含意しているかというと、「じゃあ社会学の客観性はどう担保されてるの」ということなのだろうと思う。査読されてれば客観性は保たれていると考えるのも安易だとは思うが、社会という曖昧なものをどう分析すべきかという方法については、実は社会学は相当考えてきた学問だろうと感じている。方法論的個人主義、方法論的全体主義、理念型、エスノメソドロジー・・・(いかにもミーハーっぽい用語しか思い浮かばない)。例えば、『社会学的想像力』(C.ライト ミルズ、ちくま学芸文庫)では、他の方法論をパーソンズを批判的に記しながら、

社会構造の類型は、政治、親族、軍事、経済、宗教という制度的な諸秩序に注目することで、うまく理解できるだろう。ある歴史的な社会におけるそれらのアウトラインを把握できるようにおのおのの秩序を定義し、それぞれの制度がどのように関係し合っているか、要するに、どのように社会構造を編成しているかを問うのである。それにより簡便な一組の「作業モデル」が提示される。この「作業モデル」によって、特定の時代の特定の社会を検討する際に、諸制度を「結び合わせている」紐帯をよりはっきりさせることができる。(p.87)

 と書いている。まぁとにかく、客観性を保つべく方法論に関しては厳密に先達が考えてきた分野と言える。

 

 

そして、個人的に、社会学に対して

・個別研究が多く統一性がないように見える

先のところで、量的にのみ還元しきれない社会を記述する際に、様々な方法論が議論されてきたことを述べたが、逆に言えば、方法や用語に統一性がなく、分野としてどこにまとまりがあるのか分からない印象があるようにも思えるのである。社会学系の教科書をパラパラとめくると、一応のまとまりがあるようには見える。しかし、書店に並ぶ「〇〇の社会学」などという本を見ると、「何だっていいの?」と感じることがある。

教養で受けた授業で、確かに教員が一つの事象があった時に、好きなところに焦点を絞って分析できるのが社会学の強みだと言っていた。

こういうのも、医学で置き換えてみるといいのではないか。

例えば、基礎医学系で言うと、生理学、分子生物学、薬理学、生化学、病理学、解剖学・・・など。互いに、オーバーラップする内容もあり、一方を知っていることで他方を理解できるということがよくある。複雑である人間を記述する際にこれだけ分野がまとまっているのは美しいが、この分類もいつ変化するかは分からない。社会もそうであり、様々な視点に分散されすぎていて、結局何をしているのかよく分からないということなのだろうと思う。

 

 

最後に、今回の話題に関して。

・自身の方法に固執しすぎてはいけない

学問的な方法論は時間を経るごとに確立されていくように見えるが、その中でもやはり小さな変化は繰り返されていて、それが大きく転換する時がいわゆるパラダイムシフトというものなのだろう。

社会学に批判的な視点を投げかけた理系の分野の人々は、では自身の研究で用いている方法は本当に客観性を担保している方法かと考えたことはあるのだろうか。理論におさまらないデータを意図的に消去する捏造も、現実と理論が倒錯した結果起こりえることである。

今回、氏が批判的に言われたのも、自身の解釈や用語を用いてキズナアイを記述しようとしたことが、専門外の人間にはこじつけに見えたことによる反発だったと考えられる。別に私はフェミニズムの研究者でも何でもないので、偉そうなことは分からないが、自身の理論に固執するあまり、現実を理論に当てはめようとして記述されたという可能性はある。

今回の騒動が社会学自体の批判に向いたことは、逆説的に、その批判者が関連する分野でどのように客観性を保っているかを浮き彫りにさせる良い機会になったのではないだろうか。自身が科学的かどうかを棚に上げて批判する人も中にはいたに違いない。

ドイツ旅行6日目(ドレスデン観光)

以下の日程で4月の上旬にドイツ旅行に行ってきた。

1日目:フランクフルト到着(フランクフルト泊)

2日目:ハイデルベルク観光(フランクフルト泊)

3日目:フランクフルト→アイゼナハ アイゼナハ観光(アイゼナハ泊)

4日目:アイゼナハ→ヴァイマール ヴァイマール観光(ヴァイマール泊)

5日目:ヴァイマール→ライプツィヒ ライプツィヒ観光(ライプツィヒ泊)

6日目:ライプツィヒドレスデン ドレスデン観光(ドレスデン泊)

7日目:ドレスデン観光(ドレスデン泊)

8日目:ドレスデン→ベルリン ベルリン観光(ベルリン泊)

9日目:ベルリン観光(ベルリン泊)

10日目:ベルリン→フランクフルト フランクフルト国際空港から日本へ

 

4月に行った旅行の記録を今さら書いているのもおかしいのだが、だいぶ薄れた記憶から写真を頼りに残りの旅行のことを書いてみる。

 

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ドイツで1番大きい(だった気がする)ライプツィヒ駅からドレスデンへ移動する。

 

予約したホテルのすぐ近くの駅が良いだろうと思い、ドレスデン中央駅ではなく、ドレスデンミッテ駅で降りた。

駅の写真が見つからなかったが、確か人気のあまりない駅で、まだ初の一人での海外旅行にビビっていた私は、写真を撮らなかったのだろうと思う。

予約したホテルがすでに入室できるとのことで、部屋に荷物を置き、ドレスデンの観光に向かった。

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ホテルからツヴィンガ―宮殿のほうへ歩く。あまり人がいない。

 

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ツヴィンガ―宮殿の周りの壁。西洋の城も日本の城と同じように、壁の周りにお堀のようなものがあった。

宮殿の敷地内に入って行く。

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この中に入ると、西洋人やアジア人の観光客が多くいて、少しほっとした気分になった。滞在中、何度かここを見たが、日本人のツアー客も見ることがあった。ドイツ旅行中に多くの日本人を見たのはここが初めてだった気がする。

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宮殿の敷地内から、ゼンパ―オーパーのあるほうを背に撮った写真。右に工事中の様子が見えるように、本来ならそこに美術館だか何かの展示があるようだが、入ることができなかった。この頃になると疲れもあったので、まぁ別にいいや、という気分だった。

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宮殿を抜け、ゼンパ―オーパーのある広場へ出る。

いま見ると、重厚感があってとても綺麗な景色である。が、疲れていたので、「ふーん、きれいきれい」くらいにしか思ってなかった気がする。

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ゼンパーオーパーの前、広場の中心部にある像。でかい。誰やねんこれ。

ここで多くの観光客が写真を撮っていた。

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こんな感じの景色。

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途中、ショパンの何かよくわからんものを見つけた。

なぜかこの日の街の観光の写真はこれだけしか残っていなかった。疲れていたのか?

それでもこの写真の時刻で17時を過ぎていたので、それなりに夕方ではあった。

 

この日、やっぱり外国に来たからには、本場の音楽なりなんなり観劇したいと思っていた。

思い出した。それから、ゼンパ―オーパーで何か見たいと思い、先の宮殿で座って、ネットからチケットが取れるのかどうかを調べていた。しかし、結局良く分からなかったので、劇場の入り口にいたスタッフらしき人に聞いてみると、あっちの建物で尋ねれば分かるよ、とのことだった。

ゼンパ―オーパーを背に街を見ると、右前のほうにカフェがある。おそらく観光客の多くはそこで休憩するのだろうという感じだが、入った時そんなに人はいなかった。そこのカフェのすぐ裏に、チケット売り場があるとのことだったので、そこに行ってみた。

すると、滞在予定の翌日のチケットは、人気の講演でもう取れないが、何時になったらAbendkasse(当日券)を販売するところがあるから、入れるか分からないけど行ってみると良い、みたいなことを言ってもらえた。

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写真のゼンパ―オーパーと、赤丸で囲んだ小劇場で2つの演目を上演しているようなのだが、チケット売り場の人に言われた通り、私は赤丸のほうへ向かった。

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これは上演後の写真だが、ここに開場前からちらほらと人がいた。日本人の姿は当然なかったので、若いドイツ人女性にここで当日券を買えるのか英語で聞こうとしたが、ドイツ語しか分からないという感じで返された。むむ、しょうがない、と、横に座っていたが、じゃあドイツ語で尋ねようと、Googleさんの翻訳機能を使って文字で聞くと、ここで買えますと教えてくれた。

そうか、と待っていると、開場。しかし、どんどん入って行く客はみな自分のチケットを手に持っている。当日券・・・?僕と同じように立っているドイツ人が何人かいたので、よく分からんまま同じように立って、それとなく聞いてみると、「もしここでチケットを売るっていう人がいたら見ることができるよ。けど、それをゲットできる確率はほとんどゼロだね」みたいなことを教えてくれた。

ここまで来たからには見たい。いや、でも無理か。と、半ば諦めながら待っていると、その話したドイツ人は他の人からチケットを買ってスッと入って行った。ドイツ語もわからんし要領も分からんし、もうすぐ開演時間だし無理かな、と思っていると、入り口のスタッフが一人か尋ねてきた。そうだよと言うと、1人分の席がまだ空いてるから入れるよ、とのことだったので、うおおおお、と中に入ってチケットを買った。チケットは10ユーロだかそれくらいだった気がする。

演目は、有名らしいミュージカルのキャバレー。私は知らなかったが、ネットでナチが台頭すつつある時代にあったというキャバレーの話だった。

 

中は30-50人程度しか座れないようなまさしく小劇場で、すでにほとんどの席が埋まっていた。どこに座れば良いか分からず困っていると、開場前に同じく当日券を買おうとしていたであろう中年女性が親切に話しかけてくれた。横に座ると、旅行か?学生か?ドイツの町はどこをまわった?、などいろいろと話をしてくれた。ハイデルベルクに行ったと答えると、良い街だね、と答えていたが、ヴァイマルとかライプツィヒと答えると、そんなに反応はなかった。やっぱりドイツ人からしても、いわゆる定番の観光地のほうが行って楽しいという感じなのだろうか。

キャバレーは人気なのかと聞くと、とても人気でなかなかチケットが取れない、あなたはラッキーよ、と言っていた。

 

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劇の途中の休憩時間が20分ほどあり、そこでお酒やお菓子などを食べながら、客同士で雑談をしていた。ここへ来て、普段のドイツ人の姿というか、日常生活の楽しみのようなものが見れた気がして、なんだか嬉しかった。

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夜のドレスデンの街並みとゼンパ―オーパー。まだ21時過ぎだったが、広場に人はほとんどなく、閑散としていた。ドレスデンもドイツの中では都市部のほうだと思うのだが、やはり夜になるとグンと人が少なくなる。

 

遅くにミッテ駅のほうを歩くのは怖い気がして、広場の周辺を少しだけ歩いて、その日はそのままホテルに戻った。

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夕飯は、上演前に先に書いたカフェで食べたスープとバゲット。これしか食べないでよくやっていけたと思う。が、やはりドイツ料理はスープがおいしいのだと改めて感じた。Suppeと書いてあるものを適当に選んだだけだったが、なんとも言えないコクがあっておいしかった。いや、ここのカフェは日本語のメニューがあったんだった。

『わたしの哲学入門』(木田元、講談社、2014) 感想

 本の感想が連続してしまうが、今回は「わたしの哲学入門」(木田元講談社、2014)の感想を書いてみようと思う。

わたしの哲学入門 (講談社学術文庫)

わたしの哲学入門 (講談社学術文庫)

 

 この本は、冒頭でさっそく、

…どうにも哲学が気になって仕方がないのだ。そういう人たちで、しかもなかなか哲学に近づけないでいる人たち、この人たちをもう少しうまく哲学に案内してあげる手立てがあるのではないか、と思ったのである。(p.18)

と書いてある通り、素人向けに分かりやすく哲学の流れの要所(と素人の私は考えている)を説明されている本である。はじめは著者が、なぜ、どのように哲学を学ぶようになったかという体験から記されており、第六回のあたりから本格的な説明が始まってくる。

とはいえ、こうした入門書にありがちな、後半に行くと話が込み入って来て、結局なにを言っているのか分からなくなる、ということはあまりなく、常に丁寧に説明しようという著者の人柄が感じられる。 

 

余談だが、こうした「入門」とか「1日1章」とか冠してある本をパラパラと見て、後半部分を見ると「うわ~こんな難しいことがこれを読んでいるうちに分かるようになるのか~」と思うことがよくある。まだ今は分からないけど読んだら分かるようになるんだな、と最初に感じる本は、実際読み進めてみても結局分からないままになるものである。良い入門書というのは、常に分かりやすい言葉遣いで、いつの間にか深淵に連れて行ってくれるものである気がする。

 

この本では、ハイデガーを主において、ギリシャから始まる哲学を眺めるという構成になっている。そこで「本質存在(何であるか)」と「事実存在(~がある)」という概念が出てくる。プラトンから事実存在に対する本質存在の優位性が形而上学で主張され、それが西洋の思想を通底しているとハイデガーは見ているらしい。

英語で存在を意味する be というのは、そのあとに名詞を付ければ「~である」と言える。対して「~がある」と言う場合には、頭に there を付けなければならない。つまり、このあたりにも、西欧人が「存在」と聞けば、まず本質存在を想起するということが表れているという。(p.238)

そして、この本質存在の優位性をひっくり返そうとする試みが何度か哲学者によってされてきた、という話が全体としての要約になるだろうか。

 

 

高校倫理でかじった程度の知識しかない私だが、こうした説明がスッと腑に落ちた気がする。哲学に関して全くの門外漢なので(というか哲学専攻の人おっかないし)、非常にざっくりした内容説明で終えた。ただ、こうして西洋思想を俯瞰して説明される本だからこそ、いま世界を覆う合理化、産業化、自然科学的思考は、西洋からでしか生み出されなかったろうと改めて感じた。

この本では、神様のものであった理性を人間が一部借りさせてもらっているんだ、とデカルトが言って、ヘーゲルによって理性は神様のもとから人間の手に降りてきたのだと言っている。ニーチェ形而上学的な原理は思い込みだとし、「力への意志」という「より大きくより強くなろうと意志する」生命概念を出した。そこで、いま世界を覆う社会の土台が完成したのではないかと感じる。

自然科学、産業、哲学、どれがきっかけで社会変動が起こっているのかという議論は、鵜が先か卵が先かという議論であり、結論付けることが困難である。だが、こうした思想は全てパラレルに連動しており、我々の考え方や行動もそれらによって形成されている部分が多くあるというのが非常によく分かる。

 

人間のものになって自律性を持った理性は、いったい何によって正しいと担保されるのだろうか。

 

江戸時代の思想や、中国哲学などは、実際の生活に則して思索されていったのだろうが(たぶん)、抗えないグローバル化の中で、それも日本で失われつつある。ではこれからはいったい何が「正しさ」の規範になるのだろうか。

 

正しさ、というわけではないが、これに関して、とてもロマンティックに、楽観的に、牧歌的に応えるとすると、『現代社会はどこへ向かうか』(見田宗介岩波書店、2018)より、次のようになるか。

 経済競争の強迫から解放された人間は、アートと文学と学術の限りなく自由な展開を楽しむだろう。歌とデザインとスポーツと冒険とゲームを楽しむだろう。知らない世界やよく知っている世界への旅を楽しむだろう。友情を楽しむだろう。恋愛と再生産の日々新鮮な感動を享受するだろう。子どもたちとの交歓を楽しむだろう。動物たちや植物たちとの交感を楽しむだろう。太陽や風や海との交感を楽しむだろう。(p.135)

この本では社会自体が上昇志向をやめ、じきに人々はその時の交流を楽しむようになると述べている。

 

その場の交流を楽しむというのは、目の前の存在をそのままに受け入れる考えに近いようにも感じる。

これまたロマンティックな言い方をすると、社会が人々との交歓を楽しむようになる時、事実存在が復権するのかもしれない。

『ヒトラー演説 - 熱狂の真実』(高田博行、中公新書、2014年)感想

 今日は以下の本についての感想を書いていく。

ヒトラー演説 - 熱狂の真実 (中公新書)

ヒトラー演説 - 熱狂の真実 (中公新書)

 

私は高校生の頃、世界史が苦手で、今でも一般常識レベルの知識がない。だが、この本ではヒトラーの演説の分析だけでなく時代的背景も併記されているため、内容を把握しながら読み進めやすいものだった。くわえて、ドイツ国内の地名とその周辺の国々のざっくりした位置関係が分かっていると、より内容を把握しやすい。

 

タイトルだけでは、ヒトラーの演説のみを分析しているように感じてしまうが、演説ごとでの民衆の反応、用いられたプロパガンダの手法、演説のレベルがいつ完成したか、いつ演説が効果を持ち効果を失っていったのか、など広い目線で記されている。これを見ると、ヒトラーの演説のみでナチが台頭したということはなく、ドイツの置かれた時代的背景、ドイツ国民の気質、新たな科学技術の登場、などが複合的に合わさってファシズムがもたらされたのだと分かる。また、当時のドイツ人の大多数がナチ支持者かと思いきや、意外とそうでもない人も多かったという空気感も理解できる。

しかし、ヒトラーの演説は十分条件ではないにしても、必要条件だったのはやはり間違いないだろう。

 

ヒトラーの演説のレトリックについては第2章で、映像や音高を含めた分析は第4章で細かく述べられている。本書全体で、尤度比を用いて期間ごとに有意に登場した語を表にして示している点が特徴的である。

では第2章と、5章の一部で示されているレトリックの一例をここでまとめてみる。

・対比法「AではなくてB」

・平行法(A-B/A-Bの構造)

・交差法(a-b/b-aの構造)

・反復法(同じフレーズや音を繰り返す)

誇張法(「最もあわれむべき」「鉄のような精力」などの誇張された表現を用いる)

・曖昧表現(「多くの点で」「平和」「確信」など具体的内容に乏しい言葉)

・法助動詞の使い分け(「~しようとする」→「~であろう」→「~してかまわない」→「~ねばならない」と演説が進むにつれて変化する)

・仮想する構文「もし~ならば」

・ナチ運動期には「man(人)、du(あなた、君)、wir(我々)」という、ナチ党員を指すのか国民を指すのかその場の聴衆を指すのか、曖昧な用語を多用されている

 

こういった手法を用い、聴衆の反応を見ながら演説を構成していったところにヒトラーの演説の巧みさがある。もともとヒトラーは演説が得意だったとのことであるが、逮捕された1年間に手法的に完成されたとのことであるので、天賦の才と研究と練習によって演説が生み出されたことになる。

ヒトラーはその場の聴衆の反応に合わせて演説の内容を変えていたとのこであるが、一方的に話を聴かされる演説では、はたとおかしいと感じる箇所があったとしても、また次に話が行ってしまうので、全体としての印象しか残らないように思われる。

 

私が聴いていたら、まさしく「えっ?」と思ってもすぐに何がおかしいのか気づけないだろうなと感じる手法が、仮想する構文「もし~ならば」である。

実際の演説では次にような箇所がある。

「われわれの理念が、もしそれが正しいならば、普及するであろうことを確信してかまわない」

この論理を用いると、頭に仮定をつければ、後半で自分に合った主張をすることができる。

例えば、掃除用品売り場に買い物客と売り場販売員がいるとする。売り手はA商品を売りたいが、買い手はB商品を欲しがっている時に、セールスマンが「もしこのA商品をご購入していただけるのであれば、こちらのB商品も2割引きで販売させていただきます」と言うことができる。

実際の買い物の現場では考える場があるはずなので、「んーどうしよう」と悩むだろうが、ここにさらに他のレトリックを組み合わせてたたみかけてみる。

「この便利グッズ(A商品)を買った多くの方々が、もっと前から買っておけば掃除が楽になったとおっしゃっています。本当に多くの方々がこの便利グッズを買って、楽に掃除ができるようになったとおっしゃっています。もし楽に掃除をして時間をつくりたいなら、ぜひこの商品も買うべきですよ」

こんな感じだろうか。文章で書くので少し浮いてしまうが、これを売り場で口に上手い売り子に畳みかけられたら、そうかな、と思って買ってしまうのではないだろうか。

落ち着いて考えてみると、そもそも書いてはB商品を欲しいのだが、仮定を付けるだけで見事に話をすり替えることができてしまう。もちろん、そう簡単に売れることはないだろうが、ちょうどどこかでA商品のようなものがあってもいいなと思っていたら、一緒に買ってしまうかもしれない。

それと同じく、日々の生活に行き詰まりを感じ、経済的に状況を打破してほしいと国民が感じていたら、同じような手法で演説するヒトラーに扇動されてしまうのも無理はなかったのかもしれない。

 

しかし、本書を読んだ最後の印象は、冒頭でも述べたが、そこまで熱心にナチを支持していないという人も多かったということである。ナチが政権掌握した後、演説の聴取が義務化されることになったが、工場での集まりが悪かったり、ヒトラーの演説に飽きたりしていた。エピローグに次のように書かれている。

国民を鼓舞できないヒトラー演説、 国民が異議を挟むヒトラー演説、そしてヒトラー自身がやる気をなくしたヒトラー演説。このようなヒトラー演説の真実が、われわれの持っているヒトラー演説のイメージと矛盾するとすれば、それはヒトラーをカリスマとして描くナチスドイツのプロパガンダに、八〇年以上も経った今なおわれわれが惑わされている証であろう。

この本を読み終えた後には、確かに当時のドイツに対するイメージが変わった。映画などで持っていた印象とは違う、「現実の」ドイツが今までよりも見えてきた気がする。

この世界の片隅に」の映画を観た時も、街の人々の戦争の現実は実はこうだったのではないかと感じたことがあった。もっと「手近な現実」を、多くの国民はもって生きていたのではないかと思うことがある。

話があっちこっちに行ってまとまりがなくなってしまったが、この本で示したかったのは、ヒトラーの演説の手法やプロパガンダの解説ではなく、ヒトラーの演説を通じて映し出される当時のリアルなドイツの姿なのではなかろうか。