近頃のナショナリズムの風潮を考えてみる
「ナショナリズム」という言葉にいつ出会ったかと考えると、高校の世界史の授業で初めて耳にしたような気がする。アメリカでトランプが大統領になってから、世界各国でミニトランプと言われるような政治家が台頭し、近頃ナショナリズムという言葉が再び耳にされるようになったのではないか。
第二次大戦後の世界では米ソ冷戦の時代が長く続き、その時代は国家単位での競争というよりは資本主義 対 社会主義という政治・経済イデオロギーの対立が軸であり、ナショナリズムが着目されてもいずれかの体制に依拠するようになっていた。ソ連崩壊により小国家が独立し世界はイデオロギーの対立という基軸から、多数の国家の対立という多方向のベクトルを持つ複雑な情勢に変化した。ソ連崩壊から10年後、アメリカ同時多発テロ事件が起こり、国家単位の認識に宗教が絡むようになり、世界認識はより複雑で多義的となっている。
詳細に調べていないが、9.11後にナショナリズムという語が登場した際には、イスラームの中東国家からの主張だったの対して、昨今の様子を見るとアメリカやイギリス、フランス、ブラジル、フィリピン・・・など、大国側からナショナリズムの台頭があるように見える。
そもそも「ナショナリズム」という言葉の使われ方自体が曖昧で、ひと言でナショナリズムと言われた際にどの範疇で述べているのかがわかりづらい。『新明解国語辞典 第六版』によると、ナショナリズムとは、
とある。字面だけ見ると、ずいぶん使われ方の断るニュアンスがナショナリズム一語におさまってしまっている。批判的に「あいつはナショナリストだ」と言った場合は3の使われ方だろうし、イギリスのEU離脱などは2の用法が正しそうに見える。
用語それ自体がこれだけ多義的だと、ナショナリズムに関する体系的な研究もあまりないのではないか。
1983年に書かれたベネディクト・アンダーソンによる『想像の共同体』では、
ナショナリズムのもつあの「政治的」影響力の大きさに対し、それが哲学的に貧困で支離滅裂だということである。別の言い方をすれば、ナショナリズムは、他のイズムとは違って、そのホッブスも、トクヴィルも、マルクスも、ウェーバーも、いかなる大思想家も生み出さなかった。(p.23)*1
とある。80年代にそう述べられているということは、ナショナリズム概念が登場してから長らく十分な研究成果を生み出せていないように思えてならない。それから30年以上経ち、現在では研究も進んだかもしれないが、それでも、専門家でない素人が本屋で本を読んで十分に理解できるレベルには達していないのではないと感じる。
ただ、専門家にはなれないので、適当にかいつまんで考えてみる。
同書によると、ナショナリズムは宗教共同体と王国に起源を求める。では、長年続いたそれらから国家の一員という目線に国民を変化させたものは何かというと出版物だという。出版物によって時間的同時性を俯瞰すること*2が可能となった。同じ言語で同じ内容の出版物が広がることが、同一の国民という認識の起源となった。
1914年から第一次世界大戦が始まるわけだが、出版物に起源を持つことを考えると世界の産業化、合理化、つまり近代化とナショナリズムというのはパラレルに連動するものだとよくわかる。産業化により出版物や新聞の大量生産が可能になると、より多くの国民に時間的同時性が認識され、同一の国民という意識が根付くようになる。くわえて、近代化に伴って国家の行政システムが管理されるようになると、かつての王国民が城から離れるにつれ王に対する帰属意識が薄れていったのに対し、単色で塗りつぶされた地図のように国民管理が行き届くようになる。合理化により発展してきた科学技術が導入された兵器は大量殺人が可能となる。それらが全て収斂して弾けたのが第1次世界大戦の時期だったのではないかと思う。
ならば、昨今叫ばれるナショナリズムの起源はいったいどこにあるのか。
実は、むしろ9.11テロが起きた後の世界のほうが世界は混沌としていたのではないか、ナショナリズム的な政治家の台頭だけという図式は実は明確なのではないかという気がする。
というのも、宗教と国家という図式になると、変数が多すぎて認識しづらいのに対し、今回のトランプの登場などの状況は近代化の時の意識に似ているのではないかと思われる。
出版物による言語の統一と時間的同時性がナショナリズムの起源に位置したということをヒントにすると、やはりSNSの拡大と浸透が近頃の風潮の起源になっているはずである。かつて時間的同時性は新聞・テレビといった、特定メディアから不特定多数へという構図でなされていたが、SNSによって不特定多数から不特定多数へという図式へ変化した。また、時間的同時性の間隔が日単位・時間単位だったものが、今や分単位・秒単位へと変化している。それに伴い情報量も圧倒的に増え、そうした中から情報を抜き取ることにより形成された、デジタルな国民意識である。
全体として眺めると、宗教といった新たな変数の導入というよりは、言語の統一と時間的同時性という従来の変数につく係数の変化によって結果に影響が出ているというイメージである。
したがって、いま現在の風潮の研究として主題に定立すべきは、国民意識それ自体というよりも意識がSNSによって形成される構造といった、社会心理的な枠組みであると思われる。
アメリカ大統領選で、ケンブリッジ・アナリティカ社がFacebookを通じてトランプ陣営に有利に働くように動いたという疑惑がある*3。インターネットメディアの登場前には、出版物のプライバシー権などを巡って日本でも裁判が行われ、自由と規制のラインをどこに引くかがたびたび議論されてきた。今回の事例のように大手企業がSNSを通じて人間を操作したという手法だけでなく、SNSを通じて情報を発信する際の共通の認識を、ナショナリズムという視点を踏まえてこれから形成していく段階に入っていくべきである。
定本 想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行 (社会科学の冒険 2-4)
- 作者: ベネディクト・アンダーソン,白石隆白石さや
- 出版社/メーカー: 書籍工房早山
- 発売日: 2007/07/31
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