子どものころ怖かったもの
週に一度はブログを更新したいなぁとぼんやり思っていたら、以前の更新から2か月以上経ってしまった。
日々ニュースを見ていて思っていたところはいくつかある。というか、ニュースに対するTwitterでの人々の反応を見て思っていたことはいくつかある。
なんで川崎での殺傷事件の犯人を勝手に「無敵の人」呼ばわりして盛り上がってんの?
マスゴミと批判しながら、結局「無敵の人」として楽しむ連中は、遺族や被害者のケアのことなど頭になくて、事件を語って消費するためのものとして考えてないのでは。
佐藤浩市が映画の人物を「ストレスに弱くて下痢をしてしまう首相」に設定してもらったことを安倍晋三の抱える疾患に結び付ける連中、いくらなんでも言いがかりがすぎるだろ。
けど、病気とスティグマという観点からは考察する余地は確かにあるよね。
とかとか。
ただ、そこらへんを掘り下げると結構じっくり考察しないといけないので、今回はそれは措くとして。
筑摩書房のPR誌「ちくま」という本が毎月出ていて、一冊百円で売っている。以前から気になっていたが、やっと定期購読するようにした。薄い冊子ではあるが、年間千円でいろいろなコラムを読むことができて、日本国紀とかに金を出すくらいならだいぶ良い買い物になるだろう。
6月号を読んでいたら、穂村弘氏の「こわいひらがな」というコラムが目についた。氏のこわいひらがなの極めつきが、高いビルなどにかかげられていた、巨大な赤い字の「ぢ」という文字だったという。
私も子どものころ、新聞をパラパラとめくっていて、広告欄を見ていた時に、「ぢ」とでかでかと書かれた文字を見たことが記憶に残っている。
ひらがなではないが、私も子どもの頃に得体のしれない何かが怖かったなぁということをぼんやりと思い出していた。
よく家族で夕食に行ったときのレストランの近くにあった、消防団の消防車が停まってある小さな小屋。閉められたシャッターに消防車の絵が描かれていて、暗がりで灯る赤いランプに照らされていたのがなんともいえず不気味だった。
当時住んでいた家の近くの工場の倉庫に書かれた謎の会社のロゴも怖かった。それもシャッターに描かれていて、夜、そこを車で通るとぼんやりと謎のロゴが見えるのが怖かった。
私にとっての怖かったものの極めつきは、高速道路のパーキングエリアで、遠くのほうの暗闇にたたずんでいる謎の高い塔だった。
(Highway Parking Area / 高速道路パーキングエリア – エンジョイ給水塔 / Enjoy Standpipeより拝借)
子どもにとってはあまりに巨大に見える謎の塔。夜に立ち寄ったパーキングエリアの遠くのほうで、ぼんやりと構えている。しかも、塔のてっぺんの看板は古びていて、意味不明のマークが入っている。テレビで怖い話を見た後とは違う、なんとも言えない、体のうちからゾクゾクするような感覚があったような気がする。
大人になってからこの謎の塔が貯水塔だと知ったが、たぶん今見てもこれは不気味に感じるだろう。
考えてみれば、何か得体のしれない、しかも巨大なものに恐怖を感じていた。大人になれば巨大に見えなくなるし、中で何が起こっているかもわかるようになり、いつの間にか恐怖がなくなる。いつの日か初めて一晩中外で遊びほうけた時のわくわく感も、何度か繰り返すうちに平凡なものになり、いつの間にか日常化してしまう。いったい何があるんだろう、いったいどうなるんだろう、という摩訶不思議だった対象が、経験を積んでいくうちに凡庸になっていく。これが大人になるということかもしれないと、だんだんと思うようになった。
だからこそ逆に、大人になると、凡庸な日常に幸せを見出す映画などに感動するようになるのかもしれない、とも思うが、ここまで来ると話がいろいろ飛びすぎるので、今回はこのへんで。