フエーヤー? フエーヤー・・・・・・チョッ!

受験生が、講評だけを辿って、今までにない傾向だとか、難解な問だとか、と言ってみても意味がないのである。

INDUSTRIAL JPの展示を見に行った。

先日、国立新美術館で開催されている『第21回 文化庁メディア芸術祭』を見てきた。

j-mediaarts.jp

どんな展示があるかに興味があったというよりは、INDUSTRIAL JPの展示を見てみたいという思いであった。

 INDUSTRIAL JPとは何かというと、下の動画を見ていただくのが早いだろう


「INDUSTRIAL JP」工場音楽レーベル - Record Label of Factory 公開告知

町工場で作業中に聞こえる音をサンプリングし、それを音楽(主にテクノ)に仕上げ、映像作品とともに公開しているレーベルである。その団体がメディア芸術祭にて展示を出しているということで見てきた。

展示はシンプルな構成であるが、映像と音楽に没入できる空間になっており、見て数分で出ていく人もいれば、数十分ひたすら眺めている人もいた。テクノが好きという人ももちろんいたろうが、芸術祭を見ていたら普段聴かない異質な音楽が流れる場所に出会ったという人もいる気がして、そうした人たちが一か所で展示に没頭している様子が素敵だと感じた。

 

ここから思ったことを書いてみるが、音楽に強い人間ではないので印象でテクノというジャンルについて語ることをご容赦いただきたい。

 

なぜこのレーベルが評価されているのだろうと考えてみると、機械的に町工場で繰り返される工程と、同じく単調なリズムが繰り返されるテクノとの親和性が高く、音楽としてもミュージックビデオとしてもスタイリッシュなものに仕上がっているという点がひとつ挙げられる。

我々の日常に潜んでいるが普段は意識されないばねやねじなどの製品。さらにそれを制作している町工場というと作業着の人たちがただひたすら作業をしているイメージしかない。技術力などを特集するメディアは見たことがあるが、単調な工程そのものに潜む美しさを取り上げたものはあまり見たことがない。

町工場で日夜繰り広げられている細々とした工程を引っ張りあげ、テクノという機械的である音楽が取りこみ、映像作品として無機的に調和したものとして提示された。その両者が持つミニマルな性質が芸術性の高いものに仕上がっている。

 

視聴者側からの印象で考えてみると、町工場もテクノももはや古臭さを感じさせるものである。しかし、工場の技術力やテクノのまとった雰囲気は、時代の先端にあるということも感じさせる。それらが融合することで、先進的でありながらもノスタルジックさがあるという両義性をこの作品から感じているのではないだろうか。

産業革命に伴って機械的な生産が拡大したわけだが、現代は情報革命の時代に入り、VRゴーグルなどを活用した展示が時代を先取っている。AIという言葉が氾濫しているように、デジタル的なものが時代の最先端であり、情報革命は現在進行形なわけである。その中において、かつて最先端だった工場での機械的な作業は、一昔前のものにすり替わった。

同じくテクノは、20~30年ほど前に登場したが、EDMの普及により若者にとってはダンスミュージックといえばEDMという印象があるように感じる。細かな流れについて記述する必要もないと思うが、そういった音楽の中でテクノは背景化したと捉えられる。しかし文脈としては古臭いものでありながらも、現在もテクノの流れは綿々と続いており、どこかで今も新しい音が誕生していると感じさせる。いわばテクノは、手垢にまみれた音楽でありながらも、無機的で先進的な雰囲気をまとっている。

町工場はもはやデジタルというよりアナログな雰囲気がありつつも最先端の高い技術力を発信し続けており、テクノはひと昔前のダンスミュージックでありつつも現在も進化し続けている。そういった両者の両義性が作品としてウケが良い要素になっていると思われる。