フエーヤー? フエーヤー・・・・・・チョッ!

受験生が、講評だけを辿って、今までにない傾向だとか、難解な問だとか、と言ってみても意味がないのである。

ドイツ旅行4日目(ヴァイマール観光)

以下の日程で4月の上旬にドイツ旅行に行ってきた。

1日目:フランクフルト到着(フランクフルト泊)

2日目:ハイデルベルク観光(フランクフルト泊)

3日目:フランクフルト→アイゼナハ アイゼナハ観光(アイゼナハ泊)

4日目:アイゼナハ→ヴァイマール ヴァイマール観光(ヴァイマール泊)

5日目:ヴァイマール→ライプツィヒ ライプツィヒ観光(ライプツィヒ泊)

6日目:ライプツィヒドレスデン ドレスデン観光(ドレスデン泊)

7日目:ドレスデン観光(ドレスデン泊)

8日目:ドレスデン→ベルリン ベルリン観光(ベルリン泊)

9日目:ベルリン観光(ベルリン泊)

10日目:ベルリン→フランクフルト フランクフルト国際空港から日本へ

 

今回は4日目ということで、ワイマール憲法でおなじみのヴァイマールへ移動。

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アイゼナハの駅を去る。グッバイ、アイゼナハ

 

ちなみにドイツ語では中央駅のことをder Hauptbahnhofと言い、頭の"Haupt"が「主要な」といった意味で、bahnhofが駅を意味する。Hbfなどの略字を地図ではよく目にした。

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ローカル線で1時間ほどでヴァイマールへ。切符の買い方にも慣れてきた。

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お昼前にヴァイマール駅へ到着。人口は6万人ほどの街でアイゼナハより人は多いものの、やはり静かな雰囲気である。

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駅を背中にすると、この日泊まるホテルがすぐ目の前に見える。旅行中、この日までのホテルで一番高そうな雰囲気があった(料金はこれまでのホテルとほぼ同じ)。ホテルの荷物置き場に大きな荷物を置き、街の観光へ向かう。

駅から市街地までは歩いて15分ほど。バスでも向かえるが、充分歩ける距離である。

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通りに人はいるものの、あまりにぎやかな雰囲気はない。駅から真っ直ぐに伸びる道を歩き、途中で斜め左に向かう道に入ると観光客も多い広場に続く。

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少し歩くと突然、ゲーテとシラーの像が現れる。けど、ドイツ文学よく知らないからゲーテもシラーもよくわからん。特にシラーって誰だよ。

像の後ろの建物が国民劇場で、ここでワイマール憲法が制定されたという。歴史ある場所だが、やたらにぎやかというわけではなく、のどかな雰囲気である。楽器を演奏しているおじさんがいて、カフェに人がたくさんおり、買ったアイスを食べながら歩く人の姿がある、そんな場所だった。

 

この日、念のため日本円をユーロに換金したいと思い、一般の銀行の窓口に行ったが、口座を持っていない人では無理だと言われた。その後、観光案内所で聞いてみると、旅行者用銀行でないと換金できないらしく、ヴァイマールにはその銀行がないとのことで、近くだとエアフルトにしかないとのことだった。

ガイドブックなどではあまり多額の現金を持ち歩くことを勧めていないが、小さな街ではそもそも換金できない可能性が高く、また旅行者用銀行もレートが良くないため、日本で換金していくのが最も良いと思われる。私が旅行した時では、日本では1ユーロ134円程度だったが、ドイツの旅行者用銀行では1ユーロ150円ほどだった。

 

さて、ゲーテの家に向かった。

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チケットを買うと、日本語のオーディオガイドが一緒についてくる。ガイドはゲーテの家を見ながら説明を聞くものだが、その後も博物館が続いており、まともに見ようとすると2時間はかかる場所である。

個人的なことだが、オーディオガイドでついつい日本語のガイドはないものと思い、英語のガイドを希望すると普通に英語のガイドを渡される。日本語のガイドありますかと聞くと「ないよw」と言われることもあるが、あることもあるのでまず日本語を希望してみるべきだとわかった。

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ゲーテは収集家であり自然科学者としての側面もあったようで、いろいろな絵画や像が展示されていた。

ドイツの中学生くらいの人が多くいて、彼らも遠足なのか何なのか、こういうところに来るようだった。やたら真面目にガイドを聴きながら見ていた。

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ゲーテが原稿を書いていた部屋(記憶が正しければ)。

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ゲーテが亡くなった時に座っていた椅子らしい。随分きれいだな。

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中を見終わって外に出ると馬がいた。

続いて音楽家のリストが住んでいたと言われる家へ向かった。Google Mapも見ていたが、途中何度も行ったり来たりするほどひっそりと建っていた。看板も小さくしか出ておらず、やる気が感じられなかった。

同じくオーディオガイドがあるところだったので、日本語のガイドがあるか尋ねると「ないよw」みたいなことをおばちゃんに言われた。くそぅ。

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リストの寝室。

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なんかいっぱいピアノがあった。

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英語での説明だったのでよく分からないが、練習用のピアノだったらしい。鍵盤が強めにされていたという(聞き間違いかもしれない)。

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そしてまた今回も、テューリンゲン地方のソーセージ。もうこの頃になると、レストランにえいっと入って料理を頼むのも億劫になってきていた。連日歩いて腰も痛くなってきていた。

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建物の雰囲気は相変わらずで、背が低くて横に大きい。観光客も多く、のんびりした雰囲気だった。

さて、ドイツに来たなら強制収容所を見ておかなければならないと思い、ブーヘンヴァルト強制収容所へ向かった。1時間に1本しか向かうバスが出ていないので、注意が必要である。私は乗り遅れて、ろくに中を見ることができなかったので、向かおうと思っている人はしっかりと時間を確認したほうが良い。

観光案内所に行くと、普通の案内とは別に、強制収容所に向かう人用の窓口が用意されていた。平日・休日の運行時刻、帰りの最終バスの時刻などが書かれた紙をもらい、バス停へ。

バスに乗って、つたない発音で「ぶへんヴぁると」と言ったら、太ったドイツ人運転手に「あぁ!?」と言われた。なんだこいつと思い、もう一度言うと、「わんてぃけっと?」と言われた。よく分からんが、ドイツのバスはどこで降りるのでも料金が一緒なのか?はなからワンチケットと言っておけば問題ないらしい。

バスに乗ると、途中から雑木林が広がった閑散とした道になり、乗客も私しかいなくなった。まだ収容所についていないのに厳かな雰囲気だった。

着くとインフォメーションがあったので、パンフレットを取り(日本語表記のものはない)歩いて向かった。入場料は取られない。

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収容所入口の門。入場は17時半までらしく、ギリギリに入った。

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門から中に入ると、想像を絶する広さに心底驚いた。奥の地面に見える小さな区域が、かつて収容所の建物が建っていたところである。パンフレットの地図を見ても分かるが、敷地の広大さに本当に驚いた。Wikipediaの情報では、総計で23万3800人が収容され、5万5000人以上が亡くなったという。情報として聞くのは容易だが、実際にそれだけの人が非人道的な行為を受け、虐殺されるにはこれほど広大な敷地が使われたわけである。

youtu.be

動画の1:09:38からブーヘンヴァルト強制収容所が登場する。この映像は見たことがあったが、ここがブーヘンヴァルト強制収容所だとは帰ってから知った。

敷地内にはいくつか展示室があり、当時の収容者が使っていた食器や服が展示されていたり、当時の死体焼却場などが残っている。ただし、時刻が遅かったからか、おおきな展示室以外は鍵がかけられ、中を見ることはできなかった。

ドイツ人と実際に会話したわけではないので、あくまで完全に勝手な主観でものを言うが、ドイツ人は過去の戦争責任を国民として現在も負っているというよりは、すべての理由をナチス、そしてナチスに扇動された当時のドイツ国民、に求めているように感じられた。また、これはもう穿った見方だが、ユダヤ人への責任は表面上持っているものの、他の人種を含め人類みな平等という認識はもしかするとないのではないかと思う。あくまでナチス戦争犯罪ユダヤ人に負っているのであって、そこから全世界の人種とドイツ人を同じ地平線上で扱うことはなく、やはりドイツ人が優れているという意識はあり続けるのではないかと感じてしまった。

ただ、ただ、ここまで勝手なことを書いたが、難民受け入れを積極的に行っているのもドイツである。

まぁ、このへんのことは、もっとまたドイツに行く機会があれば、そしてドイツ人の友達がもしできたら、改めて勉強したいと思う。

 

さて、ホテルへもどり、夕食を取ろうと街へ出たが、歩いているうちに旅行の疲れがだんだんと出てきてしまい、何もせずにホテルへ戻った。ホテルの1階にレストランが併設されていたので、そこで夕食を取った。

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前日もこの日も昼食を適当に済ませていたので、この日は贅沢に料理を食べた。肉料理とデザートはそこそこだったが、このスープがおいしかった。

翌日に別の店でスープを食べたが、それもおいしかったため、ドイツはもしかするとスープがおいしいのでは、とそこで気づいた。

すべて合わせて20ユーロちょっとだった。この日、チップの渡し方がよく分からず、そのままお釣りを全てもらってしまった。丁寧に接客してくれたのに、チップを渡さずにごめんね、ウェイトレスさん。