フエーヤー? フエーヤー・・・・・・チョッ!

受験生が、講評だけを辿って、今までにない傾向だとか、難解な問だとか、と言ってみても意味がないのである。

ドイツ・ドレスデンで見たペギーダの集会

以前はアメブロで思ったことを書いていたが、どうも情報強者やインテリははてなブログに多いように感じて、エセインテリの私もこちらに移行してみた。

ameblo.jp

面白いことも書いてないし、読者がいたわけでもないが、とりあえず以前までのブログはこちらに載せておく。

 

さて、4月の前半に2週間ほど休みがあったので、ドイツ旅行に行ってきた。初めての海外ひとり旅だったので本当はツアーなどに参加したかったが、パッと思いついた時にはすぐに申し込めそうなものはなかったため、ひとりで移動していた。

初日にフランクフルトに入り、アイゼナハ、ヴァイマール、ライプツィヒドレスデン、ベルリン、と10日間かけて東ドイツを見てきた。旅行の記録はまた別のエントリで残したいのだが、2泊したドレスデンにてペギーダの集会を目撃したので思ったことを書いてみる。

 

ドレスデンとはドイツ東部の街で、少し行くとポーランドチェコになるという位置にある。日本でいう京都のような観光地で、バロック様式の建造物が多く見られるため、観光客も多い印象であった。

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昼過ぎに市内観光バスに乗り、乗った後は「地球の歩き方」にも載っている店でバウムクーヘンを食べようと思ってその方向に向かっていた。すると、聖母教会のあるあたりに旗を振っている集団があり、警察の車両が何台か停まっていた。事情をよく知らない私は、これから何が始めるのか分からなかったので、バウムクーヘンを食べるのをやめ、少し離れたところにあるカフェで夕食を取った。

その間にiPhoneで調べてみると、どうやらペギーダという団体のデモが毎週月曜日に行なわれているらしい、ということがわかった。ペギーダとは「西洋のイスラム化に反対する欧州愛国者」の略で、要は移民に対して否定的な団体らしい。

直言(2016年8月22日)ペギーダの「月曜デモ」――「ベルリンの壁」崩壊から27年(1)

まさにヒットしたこの記事を読んでおり、どうやら日本人は攻撃されなさそうだと思った私は、食後にデモを見に行ってみた。すると、どうやら終わりのほうで、演説者がドイツの歌を歌っており、通りすがりのおばちゃんがそれを口ずさんでいた。最後に、演説者が「警察の人たちありがとう」的なことを言い、デモに訪れていた人たちは一斉にばらばらに帰っていった。

 

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帰っていく人たちは、東洋人の私を見ても何をするでもなく、まるでサッカーや野球観戦のあとの客のように歩いていた。親子連れもおり、小学生くらいの子どもも集会から帰って行っていた。

先に示した記事によると、反ペギーダの団体のほうがイカつい風貌で、ペギーダのほうがむしろ穏やかに見えるくらいらしい。しかしそれは、日本人である私にその目は向いていないということが分かっているからそう見えるだけであって、まさに移民として暮らしている人からすると、"怖い"集団に見えるかもしれない。ある人々をどう認識しているかで、当人に与える印象は全く異なる。スポーツ観戦から帰る雰囲気の人々の中でも、移民として暮らしている人々には恐怖の集団でしかないかもしれない。

偶然にも、その前日にドレスデンにあるゼンパ―・オーパーで、「キャバレー」のミュージカルを見たばかりであった。「キャバレー」とは、ナチスの支配が強まるベルリンでのキャバレーを舞台にしたミュージカルである。その中で、MCがゴリラの格好をした女性と踊るシーンがあり、偏見の目で見ていることを客に認知させるシーンがある。

偏見の目で見てはいけないと言葉で理解するのは簡単であるが、それを身を持って体感するのは容易なことではないものだと、デモを目の当たりにして感じたものだった。

 

ただ、日本に比べてヨーロッパでは移民の話は現実的な話であり、日本人には直感的には理解しがたいものなのだろうとも感じた。デモの集団の中に、ドイツのそのへんにいそうなおばちゃんや家族連れが多くいたことからも分かるように、移民に対して抵抗感のある人々はなにも政治的に特殊な人々ではなく、一般的なドイツ人の中にいるわけである。それだけこの問題は、根深いものであり、根本的な合意が得られるには相当な時間を有するのだろうと感じた。

しかし、これは日本に暮らしているからと言って無関係な話題ではない。例えば、原発精神科病院の建設を考えるときに、NIMBYismという考え方が登場する。NIMBYとは、"Not In My Back Yard"のことで、「もちろんそれは社会に必要である。だが、"私の家の裏には建てないでくれ"」ということである。必要性は分かっていると言うが、自身に関係が及ぶのは避ける無責任で無回答な考え方である。これは、偏見によって生じている場合がある。精神科病院などの建設に関する場合がそれで、精神障害者は周囲の近所で何か事件を起こすかもしれないという勝手な偏見によるものである。

移民問題は日本では現実的な話題とはならないが、構造的な考えとしては日本でも無関係な内容ではないのである。

 

ちなみに、ドレスデン観光からホテルへ帰る途中、壁にこんな落書きを見つけた。

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見た当初、「white pride???」と思い、どうやら白人至上主義のスローガンであると分かった時は、日本人の私が目を付けられたらぶん殴られる・・・!と思ってびくびくしていた。日本に帰ってから調べてみると、どうやら「GOOD NIGHT WHITE PRIDE」と書いてあるようで、反差別主義側の掲げるラディカルなスローガンのようであった。

日本人には感覚的には分からない、しかし西洋では、依然として波紋を広げている側面を体感することができる旅行だった。